2011年11月30日水曜日

石橋を叩いて…

石橋を叩いて渡ると言う言葉がある。

私の友人の小林はそういうタイプの人間である。彼は些か石橋を叩き過ぎる傾向があるが、まぁ叩き壊したりするレベルでは無いので問題はあるまい。彼は石橋を叩くように自分自身も叩き上げ、今では帝大の院で研究する身の上である。


石橋を叩かずに渡る奴もいる、彼は先人も渡ったのだから大丈夫だろうと言う、彼にとって今日の社会を成立させているのは信用である。10年崩れなかった物が10年と一日では崩れまいと言う信仰である。彼は信仰の上をひょいひょいと渡って行く。また、信用を得たものは、進んで信用を損なうまいと言う信念も持っている。彼の世界は磐石である。


石橋を渡ろうとせぬ者もいる。

ふらふらと遊び歩いている者もいれば、全然関係無い事に没頭して石橋が目に入らぬ者もいる。

前者は時が来ると観念して石橋をひょいと渡ってしまう。後者は偶々彼の芸が川渡しの船頭の目に止まり、船で揚々と川を渡ってとんでもない所に着いたりする。

石橋の中程で右往左往しているものもいれば、叩いたら即座に粉々になるのではと疑心暗鬼になる者もいる。渡り切ってから後悔する様な素ぶりを見せる者や、向こうからこっちへ帰ってくる奴もいる。欄干を渡ろうとする者、橋から川を眺める者、身投げする者、様々である。


石橋を叩いて叩いて叩き続けて、遂には石橋を粉砕し、挙句にこの石はどこどこの国のどういう形質の石であるかを図鑑を引いて調べ、中に化石など入っていないかと、個別の石まで粉々にし出す者もいれば、石橋を渡るを潔しとせず、イカロスよろしくロウで翼をこしらえるのに余念がない奴などもいる。彼らの殆どはロウの翼で飛ぶ前に何かと理由をつけて橋歩いてを渡ってしまう。重症になると石橋の存在そのものを疑い出す奴も出る。まこと世界は十人十色、各人各様、三者三様、千差万別である。