2012年10月19日金曜日

男の話。2

               

 どんどんと扉を叩く音が聞こえる。
「おうい。」
のんびりとした声が響く、先輩だ。
先日来の久々の来訪である。私は寝ぼけた頭に活を入れ、考えをまとめようとした。せっかくの来訪者を無碍に追い返すのも無礼であろう、しかし私はと言えばもはや半年近く人と話という話もしていない。もはや今先輩と相対してもまともに話すことができるかどうかすら怪しいのである。ではここでドアを開けずに先輩を追い返すことよりも、このような失態を人にさらすことの方が無礼ではあるまいか。
「うぅん、困ったな。」
 先輩は腕組みをしてそちらからは見えもしないのに覗き窓を覗き込んでいる。相変わらず我々はこの一枚のドアを隔てて互いの距離を測りかねていた。私は果たしてここで表に出るべきか否か。
私は人生の分岐点に立たされているのではあるまいか。人前にかれこれ半年も出ていない私に、そのような体裁を気にする必要があるのか、というご意見もあろう、しかし私は体裁を機にするが故に、家から出ないという選択をしたのではあるまいか。誰からもよく思われたい、そう思うが故に私は人前に姿を現さないと決めたのではあるまいか、人付き合いをしながら常に好かれようなどということができるほど、私は器用な男ではない。だから、私は外界を拒絶したのだ、外界から拒絶される前に。
 なにかを期待して裏切られるくらいならば、はなから期待などしない方がよい。私には期待をする資格などないのだ。そしていわんやその資格を取得できる教習所があるとしても、そんなところに通いたいとは思わない。

               

美少年 何も言うな何もかも見たくないんだ……愛してほしくなんかないんだ。
—寺山修司 「毛皮のマリー」

               

彼女は実にかわいい人であった。
出会いは大学の学園祭の最終日にさかのぼる。学園祭が終了し、大学生のみとなった構内の、宴の後の不可思議な雰囲気の中、私は彼女と隣り合って缶チューハイを飲んだ。私は薄手の服のすそから大きく露出した彼女の肩周りの赤らみをみて、ちょっといいな、と思った。そのとき彼女も私のことをちょっといいな、と思っていたということは後に知ることとなる。

               

言葉なんて信じられない。
心の中身が本当だということを信じるためには、外側は全部、嘘でできてると言わなければならない。と何かの台本で寺山修司は美輪明宏に言わせた。
私はこの言葉を机上の空論だと思う。今も思う。しかし、外側は嘘で、中身は本当。信じるためには外側は嘘で、信じるためには中身は、信じるためには中身は…

               

「こんなこと話したのはあなたが初めてよ。」
僕は彼女の手を握った。手はいつまでも小刻みに震え、指と指の間には冷えた汗がじっとりとにじんでいた。
「嘘なんて本当につきたくなかったのよ。」
—村上春樹 「風の歌を聴け」

               

 ぱくぱくと先輩は土産だと持ってきた酒饅頭を食べている。私はまだ一つと半分しか口にしていないが、先輩は24個入りの饅頭を、もはやすべて平らげんとしている。
「大変な犯罪が計画されてるんだ。しかし、うまくくいとめられると信じてよい理由もある。ただし、今日が土曜なので、いささか面倒な問題になった。今夜、きみに手伝ってもらうかもしれないよ。」
先輩は何かを諳んじるかのように、朴訥に台詞を吐いた。
半年以上前に会ったときよりいくらか痩せ、以前よりもあごには立派にひげを蓄えている。ちょっとした英国の探偵と言ったような出で立ちだ。
私はしばし考えて
「確か、シャーロックホームズの台詞ですね、五粒のオレンジの…いや、たしか赤毛連盟の台詞でしょう」
先輩は饅頭を咀嚼し終えると
「勤勉だ、それにおまえ、推理小説やミステリのたぐいは、いっさい読まなかったろう。」
と関心げに言った。
「それに今日は、確か、月曜日でしょう。何せここ半年、家から出ずに本ばかり読んでたもんだから、ホームズやら、京極夏彦やら、エドガーアランポーなんかもずいぶん読みました。」

「本なんか読んでも、なんにもならないぞ。」
先輩は言った。

私は少し考えて
「…まったく、そうかもしれませんね」
と答えた。

               

「己も実は面白くないんだよ」
「じゃ御止しになれば好いのに。つまらないわ、貴夫、今になってあんな人と交際うのは。一体どういう気なんでしょう、先方は」
—夏目漱石 「道草」

               

 描くべきことはいくらでもあるが私の経験をそのまま記載するのであればそれは多くの場合著作権の侵害になるであろう。私の経験のほとんどは他人の経験であり、私の経験は他人の経験の寄せ集めであると言える。

               

だれしも幽霊についてかたるが 幽霊を見たものはいないように
だれしも愛についてかたるが 愛を見たものはない
—ジョージ秋山 「デロリンマン」

               

 愛について語った小説というのは、この世に銀河の星の数ほども存在する。銀河の星の数ほども存在するものは恋愛小説と銀河の星以外にあるとすれば、地球上に存在する海の砂と、この世に生まれてきた人々が思いついたけれども生涯一度も口に出さなかったくだらないダジャレの数くらいのものだろう。

 なぜ愛についてそんなにも語りたがるのか、お前らにはそれしかないのか。
愛というのはこの自分が主役でない世の中において唯一自分が主役となれるイベントだからこそこんなにも人に好まれるのではなかろうか。ただ、実現するか否か、ということで考えれば、世界の存亡をかけた戦いも、見知らぬ女性とのアバンチュールも同等に夢物語であることには変わりない。私に取っては宇宙怪獣に侵略され、滅亡の危機に瀕した地球の方が、私に好意を寄せる女性などというものよりも、よほどリアリティがある。
感情移入というのは、そこに手が届くか否か、というよりも、それが想像に難いか否かによって行われる。手の届かない夢物語よりも、電車で隣に座っている人間の人生の方が、理解不能で複雑怪奇なものである。

お前はいったい誰なのだ。

               

 現実とは偶然の連続であるが故に、リアリティを極限まで追求した小説はもはや伏線も何も存在しない、一種の不条理小説の体裁をなすようである。
文学の先生はそう言った。

               

「先輩は最近、どうでした?」
会話に詰まると近況を聞く。人は会話に詰まると近況を聞くものである。
「ああ、僕のことか。」
先輩は饅頭の甘さを押し流そうとするかのように、私の入れたほうじ茶をぐいぐいと飲んだ。少しおいて言った。
「ちょっと留学をしていたんだ。」

「はあ、留年ではなく、留学ですか」
私は心底驚いた、先輩の語学力は前述の通り、四年生になっても一年生の英語の授業を受けているようなレベルのものである。
「この饅頭はそのお土産だよ」
先輩は空の饅頭の箱を指差してそういった。
「はあ、新潟にでも留学してたんですか」
饅頭の箱には確かに、「新潟名産八海山酒饅頭」と書いてあった。

「いやドイツで土産を買うのをすっかり忘れていたものだから、土産は全部東京駅の物産展で買ったんだよ。」
先輩は低く響く声ではっはっは、と笑った。

               

 その日先輩は饅頭を食べて満腹になったら帰ってしまった。
「またくるよ。」と一言言い残した。

 再び私一人の世界となったこの部屋で、布団に寝そべり私は世界を股にかける先輩を想像した。人にかまを掛け、法螺を吹き、必要とあればただ語らぬことで人を納得させるあの不思議な話術で外国人と渡り合う先輩を夢想した。なんだか考えれば考えるほどに、不思議な情景だった。私が家から出ずにいた半年間を先輩は日本からもちょいと足を伸ばして出て行ったという。私はああはなれまい、しかし、ああなりたいと思うか、と言われても素直に、はいとは言えぬ。

 時刻は夕刻を回っていた。

 私は一眠りすることにした。なんだかとても疲れた。人と話すというのはとても疲れるものなのだ。かつてはそうは思わなかったかもしれない、しかし、今はそうだ。沸々と浮かぶたわいもない物思いの中にたゆたいながら、私はカーテン越しに床に落ちる、うす赤色の輝きを眺めていた。やがて私の視界はぼやけ、考えるのもおっくうになった。私は私に閉じこもった。

               

 私は迷路の中、くらいくらい道、道は奥へ続き、ぼんやりとした常夜灯の下のような明るさの中、私はただゆっくりと歩いてゆく。こんなにもくらい中、不思議と何かにぶつかったりすることもなく奥へ奥へと進んでゆける。わずかに閉塞感のようなものを感じる。胸が押さえつけられるような。私は夏のようなじめじめと湿った空気に取り囲まれている。夢の中に居るような感覚で、現実感がない、歩調に合わせて視界が揺れているのはわかるが、それも霞がかかったかのようにぼんやりとしたものだ。でも確かに、私は暗がりの中をゆっくりと、前の向かって進んだ。

               

そのときにしか書けないもの、というのは確かにある。そのとき、その状況で、その精神状態で、その年齢だったからこそ書けたものというものはあったはずだ。

               

 トンネルを抜けるとそこはトンネルの向こうであった。
私は先輩の運転する軽トラックの荷台の上でまだ夏になる前の、何とも言えない、暖かくもなければ、肌寒くもない風を浴びている。トラックの荷台には私以外に三人の人間が積載されている。自分が果たして今どのような状況に置かれているのか、全く訳が分からない。三人の内二人は面識があった。
私は顔見知りの二人の中でも、以前仲の良かった小林に声をかけた。
『これはいったいどういうことだ』
トラックの荷台の上をいう話すのに適さない環境下で、自然と声が大きくなる。
「どうしてこんなことになったのか」

「そんなこと僕が知るか」
と小林は大きな声で答えた。
運転席からは先輩の愉快そうな鼻歌が聞こえる。
夜の田舎道のオレンジの街頭が次々と頭上を通り過ぎてゆく。

どうしてこんなことになったのか

               

 なんでそんなことを気にするんだろう。と彼女は思った。
気になることがなぜ悪いことなのか、と私は思った。

当時の彼女の心持ちなど私にはわかるはずもない。
ただ、たくさんの小説を読むにつけ、大学生というものは、皆こういう悩みに直面するものなのだと知った。

みんなそんなものを読んで面白いのか。


そうですともたのしいということには反対しませんが、私はもっと遠いものにあこがれて、なにかあたらしいことがおこるのをまちこがれていたのです。
—トーヴェ・ヤンソン 「ムーミンパパの思い出」


 小林との関係はさかのぼるととてつもなく大変なので要約して話す。
奴との友人関係は幼稚園の頃から続き、この大学まで一度も途切れることなく続いた。なぜならば我々は小中高大学と、特に一貫校でもないのに同じ学校に通い続けたからである。大学になってやっとこ私は非生産的な経済学部へ、奴は理学部へと歩を進め、袂を分かつかのような形になった、ただし校舎は隣であった。
 私がぶつくさと大学の講義に文句を垂れ、留年ギリギリの取得単位で二年生に上がった頃、奴は実験用のラットを次々と殺さざるを得ないことに疑問を感じるような繊細な人間であった。私が引きこもる前に最後にした会話では、奴は免疫学から加齢研究に研究室を移り、主な実験が細胞の培養になってしまったためにあまり頻繁にラットで実験できないことを残念に思う、と言うような内容だったと記憶している。長髪に整った顔だちの小林はもはや立派なマッドサイエンティストであった。しかし奴は和菓子を愛好し、早朝にトランペットを吹きならし、焼き肉屋で食事の最中に臓物の色つやからその持ち主である豚の健康状態を気遣ってやまない奴である。我々が長らく良き友人でいることができたのは、飯の最中にそのような話をされても動じない私の懐の広さ、もとい鈍感さと、それ故の奴の友人の少なさもあったと思う。

               

 ガタガタと揺れる、手元の鉄の感覚。鉄板の上に乗せられた私たち。トラックという物質の頑丈さ、堅牢さに感心する。耳元にぶつかっては後ろへ流れ去って行く空気の音が心地よい。道はどんどん田舎道になってゆく。道端の木々がざわざわ揺れ動く。木陰は真っ暗で、空はいくらか明るかった。夜空とはこんなにも明るいものであったか。瞬く星々の下、我々は幻想的な気分になった。しかし、こうも思った。なぜ、我々はトラックにゆられて、黒い木々に縁取られた星空を眺めているのか。

こんなことになったのは、いったいなぜなのか?

               

 人生は、どうせ一幕のお芝居なんだから。あたしは、その中でできるだけいい役を演じたいの。 —寺山修司 「毛皮のマリー」

               

 とかくこの世は生きにくい。とはだれの言葉だったか。
我々のような気弱な人間は、常に力の強いものに引きずられ、どんな無茶な要求に対してもただうなずいて同意しながらそのものの手足となって生きていくしかないのではあるまいか。
ことの発端は先輩の「鶏を一匹、生きてる状態から解体して食べてみたい。」という、ちょっとした思いつきであったらしい。トラックのヘリの方に座っている小柄で華奢な男が教えてくれた。彼とは今夜の面子の中で唯一面識がなかった。柄沢と言う名で、先輩と同じ文学部の学生であると言う。
「医学部の解剖の授業を見学しましてね、それで、裁断された肺やら取り出した肝臓やらを触らせてもらったりしましてね。きれいだったなぁ。肝臓って言うのは、重いんですね。血がいっぱい入ってるからかなぁ」
などと、とりとめのないことを言うこの少年じみた顔の青年は、一年生であるという。先輩を焚き付けたのは、どうやらこの青年らしい。
「肝臓が重いのは多分血抜きしてないからだよ、僕たちが一般に食卓で食べている肉って言うのは基本的に血抜きって言う行程を経てるんだ。ほら、今日もやるだろうけど、鶏は首をへし折ったあとに足から吊るして、首から血を出すでしょ?」
えへへ、と笑いながら、小林の女顔が歪む、こういうことにかけては、こいつに一日の長がある。
「首をへし折るって言うのがいいですね、やってみたいなぁ」
柄沢くんがにこにこ笑って言った。こいつらはきっと仲良くやっていけるだろうな、と思った。
「いざやってみようと思ったら、以外と力が入らないもんだぜ、生きているものを殺すってのは結構すごいことだぞ」
と私が言った。

「いくじなしね」
トラックのガタガタと言う騒音の奥から凛と響く声が聞こえて来た。

「カブトムシだって恐くて触れないんだから、当然かしら」
と続けた。
「そういえばおまえ、昔からカブトムシ苦手だったね」
と、小林が言う。お前らにそんなことを言われる筋合いはない。と思いながら、私はこう言い放った。
「お前ら、もし俺が腹で呼吸をする生き物だったらおっかないだろう

…そういうことだ」

どういうことであろうか。

これが出雲友美との久々の会話であった。

               
 その日先輩は饅頭を食べて満腹になったら帰ってしまった。
「またくるよ。」と一言言い残した。

 再び私一人の世界となったこの部屋で、布団に寝そべり私は世界を股にかける先輩を想像した。人にかまを掛け、法螺を吹き、必要とあればただ語らぬことで人を納得させるあの不思議な話術で外国人と渡り合う先輩を夢想した。なんだか考えれば考えるほどに、不思議な情景だった。私が家から出ずにいた半年間を先輩は日本からもちょいと足を伸ばして出て行ったという。私はああはなれまい、しかし、ああなりたいと思うか、と言われても素直に、はいとは言えぬ。

 時刻は夕刻を回っていた。

 私は一眠りすることにした。なんだかとても疲れた。人と話すというのはとても疲れるものなのだ。かつてはそうは思わなかったかもしれない、しかし、今はそうだ。沸々と浮かぶたわいもない物思いの中にたゆたいながら、私はカーテン越しに床に落ちる、うす赤色の輝きを眺めていた。やがて私の視界はぼやけ、考えるのもおっくうになった。私は私に閉じこもった。

               

 私は迷路の中、くらいくらい道、道は奥へ続き、ぼんやりとした常夜灯の下のような明るさの中、私はただゆっくりと歩いてゆく。こんなにもくらい中、不思議と何かにぶつかったりすることもなく奥へ奥へと進んでゆける。わずかに閉塞感のようなものを感じる。胸が押さえつけられるような。私は夏のようなじめじめと湿った空気に取り囲まれている。夢の中に居るような感覚で、現実感がない、歩調に合わせて視界が揺れているのはわかるが、それも霞がかかったかのようにぼんやりとしたものだ。でも確かに、私は暗がりの中をゆっくりと、前の向かって進んだ。

               

そのときにしか書けないもの、というのは確かにある。そのとき、その状況で、その精神状態で、その年齢だったからこそ書けたものというものはあったはずだ。

               

 トンネルを抜けるとそこはトンネルの向こうであった。
私は先輩の運転する軽トラックの荷台の上でまだ夏になる前の、何とも言えない、暖かくもなければ、肌寒くもない風を浴びている。トラックの荷台には私以外に三人の人間が積載されている。自分が果たして今どのような状況に置かれているのか、全く訳が分からない。三人の内二人は面識があった。
私は顔見知りの二人の中でも、以前仲の良かった小林に声をかけた。
『これはいったいどういうことだ』
トラックの荷台の上をいう話すのに適さない環境下で、自然と声が大きくなる。
「どうしてこんなことになったのか」

「そんなこと僕が知るか」
と小林は大きな声で答えた。
運転席からは先輩の愉快そうな鼻歌が聞こえる。
夜の田舎道のオレンジの街頭が次々と頭上を通り過ぎてゆく。

どうしてこんなことになったのか

               

 なんでそんなことを気にするんだろう。と彼女は思った。
気になることがなぜ悪いことなのか、と私は思った。

当時の彼女の心持ちなど私にはわかるはずもない。
ただ、たくさんの小説を読むにつけ、大学生というものは、皆こういう悩みに直面するものなのだと知った。

みんなそんなものを読んで面白いのか。


そうですともたのしいということには反対しませんが、私はもっと遠いものにあこがれて、なにかあたらしいことがおこるのをまちこがれていたのです。
—トーヴェ・ヤンソン 「ムーミンパパの思い出」


 小林との関係はさかのぼるととてつもなく大変なので要約して話す。
奴との友人関係は幼稚園の頃から続き、この大学まで一度も途切れることなく続いた。なぜならば我々は小中高大学と、特に一貫校でもないのに同じ学校に通い続けたからである。大学になってやっとこ私は非生産的な経済学部へ、奴は理学部へと歩を進め、袂を分かつかのような形になった、ただし校舎は隣であった。
 私がぶつくさと大学の講義に文句を垂れ、留年ギリギリの取得単位で二年生に上がった頃、奴は実験用のラットを次々と殺さざるを得ないことに疑問を感じるような繊細な人間であった。私が引きこもる前に最後にした会話では、奴は免疫学から加齢研究に研究室を移り、主な実験が細胞の培養になってしまったためにあまり頻繁にラットで実験できないことを残念に思う、と言うような内容だったと記憶している。長髪に整った顔だちの小林はもはや立派なマッドサイエンティストであった。しかし奴は和菓子を愛好し、早朝にトランペットを吹きならし、焼き肉屋で食事の最中に臓物の色つやからその持ち主である豚の健康状態を気遣ってやまない奴である。我々が長らく良き友人でいることができたのは、飯の最中にそのような話をされても動じない私の懐の広さ、もとい鈍感さと、それ故の奴の友人の少なさもあったと思う。

               

 ガタガタと揺れる、手元の鉄の感覚。鉄板の上に乗せられた私たち。トラックという物質の頑丈さ、堅牢さに感心する。耳元にぶつかっては後ろへ流れ去って行く空気の音が心地よい。道はどんどん田舎道になってゆく。道端の木々がざわざわ揺れ動く。木陰は真っ暗で、空はいくらか明るかった。夜空とはこんなにも明るいものであったか。瞬く星々の下、我々は幻想的な気分になった。しかし、こうも思った。なぜ、我々はトラックにゆられて、黒い木々に縁取られた星空を眺めているのか。

こんなことになったのは、いったいなぜなのか?

               

 人生は、どうせ一幕のお芝居なんだから。あたしは、その中でできるだけいい役を演じたいの。 —寺山修司 「毛皮のマリー」

               

 とかくこの世は生きにくい。とはだれの言葉だったか。
我々のような気弱な人間は、常に力の強いものに引きずられ、どんな無茶な要求に対してもただうなずいて同意しながらそのものの手足となって生きていくしかないのではあるまいか。
ことの発端は先輩の「鶏を一匹、生きてる状態から解体して食べてみたい。」という、ちょっとした思いつきであったらしい。トラックのヘリの方に座っている小柄で華奢な男が教えてくれた。彼とは今夜の面子の中で唯一面識がなかった。柄沢と言う名で、先輩と同じ文学部の学生であると言う。
「医学部の解剖の授業を見学しましてね、それで、裁断された肺やら取り出した肝臓やらを触らせてもらったりしましてね。きれいだったなぁ。肝臓って言うのは、重いんですね。血がいっぱい入ってるからかなぁ」
などと、とりとめのないことを言うこの少年じみた顔の青年は、一年生であるという。先輩を焚き付けたのは、どうやらこの青年らしい。
「肝臓が重いのは多分血抜きしてないからだよ、僕たちが一般に食卓で食べている肉って言うのは基本的に血抜きって言う行程を経てるんだ。ほら、今日もやるだろうけど、鶏は首をへし折ったあとに足から吊るして、首から血を出すでしょ?」
えへへ、と笑いながら、小林の女顔が歪む、こういうことにかけては、こいつに一日の長がある。
「首をへし折るって言うのがいいですね、やってみたいなぁ」
柄沢くんがにこにこ笑って言った。こいつらはきっと仲良くやっていけるだろうな、と思った。
「いざやってみようと思ったら、以外と力が入らないもんだぜ、生きているものを殺すってのは結構すごいことだぞ」
と私が言った。

「いくじなしね」
トラックのガタガタと言う騒音の奥から凛と響く声が聞こえて来た。

「カブトムシだって恐くて触れないんだから、当然かしら」
と続けた。
「そういえばおまえ、昔からカブトムシ苦手だったね」
と、小林が言う。お前らにそんなことを言われる筋合いはない。と思いながら、私はこう言い放った。
「お前ら、もし俺が腹で呼吸をする生き物だったらおっかないだろう…そういうことだ」

どういうことであろうか。

これが出雲友美との久々の会話であった。