2013年1月2日水曜日

The idea was to be a symbol.
Batman could be anybody.

バットマンはシンボルだ
バットマンには誰でもなれる マスクをつければ
— ダークナイトライジング

john smith


from the Voice (not We are the World)


声とはなにか。認識に必要な記号である。
我々は多くの理解を言語に頼る。原初、人は理解を、知識を世代を超えて伝えるために言語を持ったのか、何しろ私はその時代に友人がいないので定かではない。
音というものは現在存在する情報伝達手段の中で、もっともノイズの多く、情報伝達の効率も良くない。
ラジオはテレビに淘汰された。音というものは非常に伝わりにくい。しかし情報の理解の根源的な部分にかかわるものである。
たとえば小説を読むとき、文章を読むとき、「黙読」とも言うとおり、あなたは頭の中で音を再生、シミュレーションし、理解しているはずだ。
音というのは思考と理解に密接にかかわりあっている。我々の思考速度は口の動きと等速なのだ。




音というものが語られるとき、その性質(たとえば波形、高い音か、低い音か)についてのみが語られることが多いように思う。
我々は幼少のころから音楽に満たされた生活を送ってきた。たとえば昔の漫画などで極端に音痴なキャラクターという描写がままあるがこれはかつては音楽というものを再生する機器がまだ世にあふれておらず生きていく上で音楽に触れる機会が少なかったがゆえに起こる野ではないか、という考察をどこかで読んだことがある。


環境が人を変える。




5次元の存在




other
walking the city
 このプロジェクトは留学中UdKのヨアヒムザウター氏のゼミで「sensing the city」というテーマでデバイスやウェブ媒体を用いて都市情報をアートとして再構成するというクラスの中で行ったものである。
都市をセンシングする、というテーマのこの講義ではCosm(ArduinoやProcessingと連携した計測データ共有サイト)を用いて都市構成そのものを記録するような性質のものから、ベルリンの町をサーモ撮影しグラフィックを制作するようなもの、S-bahnの路線沿いのグラフィティの分布の統計を取りそれを地図上にグラフィカルに構成する作品などさまざまな作品が見られた。


walking the city

町を歩き町を音楽に。

この作品の発想の根源は、演奏というものそのものに対する疑問から生まれた。ノイズ音楽というものは往々にして人と机によって演奏される。
演奏者は机の周りを行ったりきたりし、音を鳴らしたりミキサーを操作したりパソコンをいじったりする。
ただこれらは還元してしまえばサンプリングと目盛り(或いはメモリ)の操作が複雑化したものである。
原理的なことをいえば、この作品はサンプリングを私の周りの音に、目盛りの操作を私の周りの環境に託した作品である。
首元に固定されたカメラで周囲の環境を記録しながら、帽子に取り付けられた10個のマイクで自らの周りの状況、音をセンシングし周囲の音をリアルタイムにノイズに変換する。







音の循環系

サンプリングした音源を鳴らす。
この行為の裏には録音という行為が潜んでいる。
ある人はこの音が面白い、と思ったものを録音し収集していく。