2017年12月13日水曜日

愛はさだめ、長門有希は死

 朝倉がカナダからお土産として持ち帰った200万バレルのメープルシロップによって発生した洪水で北高が崩壊し、ハルヒが糖尿病になって死んでから2年ほどの月日が流れたが、今日もいつもと変わることなく、俺たちは文芸部室に集まり、そこかしこの床や壁の木材にほんのり残るメープルシロップの甘い香りを嗅いでは軽い頭痛を憶えるのだった。

 ところで読者諸氏は「マリオテニス64」をご存知であろうか、この話をするためには膨大な前提知識の話をしなければならないのであるが、まず、ドンキーコング、というキャラクターは三代にわたって続いている、ということをご承知おきいただかねばなるまい。
 俺たちの世代だとドンキーコングと言われて一番に思いつくのはスーパーファミコンの「スーパードンキーコング」に出て来たドンキーコングその人であると思うが、実はこいつは初代のドンキーコングではない。
 初代ドンキーコングは、その俺たちがドンキーコングだと思っているゴリラを杖でぶっ叩いて叱ったりするクランキーコングの方である。厳密にいうと「スーパードンキーコング」におけるドンキーコングは、初代ドンキーであるクランキーの孫なのだ。
 なるほどガッテン、と思っていただけたかもしれないのだが、ここからさらに話が一段と複雑になるので覚悟して聞いていただきたい。
 孫というからには、クランキーコングの子供の子供、ということになる、孫ドンキーは一般には2代目ドンキーコングと呼ばれているのであるが、このわかりやすくジョジョで例えるならジョナサン・ジョースターの孫のジョセフ・ジョースターの父親に当たるジョージ・ジョースターのポジション、ここにはドンキーコングJrというキャラクターがいるのである。本来ならこいつが2代目な気がするのだが、一般には孫コングの方が2代目と呼ばれている。
 さて、ここまで理解していただいたのであればやっと本題に入れるというものである。「マリオテニス64」俺は最初にこのゲームの名前を言ったと思うがこのゲームはなんと、この、子ドンキーコングjrと孫ドンキーコングが共演する非常に珍しい作品なのだ。それだけ聞くと、家族のほのぼのとした団欒のワンシーンをご想像の方もいるかと思うのだが、なんとドンキーコングJr、ファミコンゲーム登場時の子供の姿で登場してしまうのである。
というわけで、孫ドンキーは明らかに自分よりも年齢の低い父と共演することに相成ってしまうわけなのであるが…
 やはりそれはハルヒが時間平面破壊爆弾で世界のいたるところに時間断層を引き起こし、東京で江戸幕府と警視庁の内戦が起きたり、中国が三国志の英雄たちによって地域ごとに蜂起し中国共産党と内戦状態に入ったり、チェ・ゲバラがカストロと再会して共産主義革命の世界的拡大を宣言したり、リシュリュー公爵アルマン・ジャン・デュ・プレシーによってユグノーが弾圧されたり、未来人が光線銃で恐竜と格闘していることと大きな関係があるのだろう。

全く、ドンキーコングもとんだとばっちりを受けたもんだ。


「愛はさだめ、長門有希は死」完

2017年12月11日月曜日

デューン 長門有希の惑星

人類と宇宙人とのファーストコンタクトは、「野球をしたいから校庭を貸して欲しい」という、近所の草野球チームの陳情のような形でやってきた。
朝倉涼子という宇宙人の投げた外角低めのフォークボールを受け、長門有希という宇宙人の放ったホームランボールによって、北高の校舎は跡形もなく消失し、涼宮ハルヒという人物もまた、この時にボールと空気の摩擦によって発生した5の28乗ギガジュールの熱によって跡形もなく蒸発してしまったのであるが、季節はずれの風邪で寝込んでいた俺にとってそれは、後で聞いた話になる。谷口は「仰天動地だ…」と言っていた。

その宇宙人は「人間が死ぬ」ということに大変な不思議を感じた。なぜならば、本質的に時間的存在ではない情報統合思念体という概念である宇宙人たちにとって、時間とともに常に死んでいきつつある人類という物質的な種そのものが理解できなかったからだ。
進化にまつわる進歩的な情報を遺伝子のみではなくミームとして外部に依存するということも、情報そのものの集積体として生きる情報統合思念体には理解できないことだった。少なからず、人間という生き物は、死ぬ、ということによって消失するらしい、ということは理解できるのだが、この、消失する、という性質が情報統合思念体にはうまく理解できなかった。
物質は、例えば原子レベルで言えば物質の総量は変化していないのにもかかわらず、血流が止まるであるとか、それによって細胞への酸素供給が不足して分子構造が変化するとか、そういうことによって、人間は死んだり生きたりするらしい、ということに大変不思議を感じていた。

あわよくば、自分自身も「死んでみたい」と願ったのかもしれない。
そして宇宙人たちは、自分自身の血の流れを止めて、みんな死んでしまった。

その時、古泉には富士山という概念に成り果て、もはや自我というものが存在していなかった。そこにあるのはまごうことなく富士山であった。富士山が人間として存在しているという矛盾は、古泉の常識的な精神を次第に蝕んでいき、ついには富士山を演じる古泉は、中途千代の富士などを経由するなどの回り道はあったものの、古泉を演ずる富士山となり、最終的には富士山そのものとなったのだ。日本に富士山が二つある、という大きな問題が依然としてそこに横たわっているわけではあるのだが、これは観測者が人工知能になることで解決する。つまり数学の探索アルゴリズムにおける局所的山登り法を用いて、日本で一番高い山である富士山を探すために現在地よりも高い位置へ移動し続けることによって、たどり着いた頂点を富士山だと仮定する方法である。局所解は大局解から見ると大きな誤り含んでいることが明確であったりするのであるが、この方法によって導き出された富士山は、観測者にとって常に一つである。だから、富士山が二つあっても、富士山は常に一つしか観測されないのだ。

「デューン 長門有希の惑星」完

2017年12月10日日曜日

憂鬱な遺伝子を長門有希につけて

「“人間は根源的に時間的存在である”って言葉を知ってますか?」
ハイデッカーだか何とかと言うドイツ人が言った言葉である、と言うのは何となく知っていたが、なぜその時朝比奈さん(大)が今そのようなことを言ったのかは理解できなかった。
「私たちの存在は基本的に時間と言うものの流れから外れることはできません。例えば、私とキョンくんが長門さんの家で三年間時間凍結されていた時がありましたよね。世界では三年の時間が経っていたのに私たちはあの三年を知覚できませんでした。一瞬で三年が経過した、と、そう感じたはずです」
確かにあの時の三年を知覚出来ていたとしたら俺は朝比奈さんと同じ部屋で三年を過ごしていた訳で、朝比奈さんのようなエンジェルと二人きり同じ部屋で過ごすと言う夢のような生活を知覚できていなかったのだとしたら、俺はナイアガラのごとく滂沱の悔し涙を流すことだろう。
「私たちの主観で考えてみてください、私たちは存在しているのに私たちが世界を観測できたのは時間が凍結されてない間だけ、つまり、時間のない世界では私たちは存在していなかったのかもしれない」
それはシュレディンガーの猫であるとか、エヴェレットの多世界解釈であるとか、そう言う話のような気もするのだが、難しい話はあとで長門に聞いてみるとしよう。
「私たちは基本的に時間というものと共に存在しています。でもそうじゃない存在が、私たちの知る身近な人の中にいるはずです」
そこまで言われて俺はピンと来た、随分昔のことになるが、長門が情報統合思念体について話していたことを思い出したのだ。
「情報統合思念体は、時間的存在じゃない…?」
俺が疑問の声をあげると、朝比奈さんは小さくうなづいた。
「情報統合思念体は、時間の外側にいる存在なんです。もっとも、TFEI、つまり長門さんたちのような存在は、情報統合思念体が私たちにアクセスするための手段として、時間的存在にならざるを得なかった所があります。それが、長門さんが感情を持ったことの一つの原因なんじゃないかと私は考えています」
生物の感情というものは人間の自由意志であるとか、脳細胞のシナプスの接続経路とか、そういうものではなく「時間」に由来するものであるではないか、という朝比奈さんの仮説は一定の信頼を置けるような気がした。

 人間は物事を常に時間を付随して観測せざるを得ない。仮に一秒間に正三角形の線の上を1cm進む点Pが頂点Aから時計回りに出発して5秒後にどこにいるか、という問題を考える時に、いや、今ここで三角形の一辺の長さを定義していないことに関してのツッコミは置いておくとして、5秒後という「瞬間」に時間が存在していないか、というと、それは誤りなのだ。断続的に続く時間の一点を写真のように切り抜いたとしても、写真がシャッター速度によって定められた露光時間の光の反射の記録であるのと同じように、「今、その時」という一瞬も時間とともにあることは変わらないのだ。
 人は、常に時間とともに歩む、そして過ぎ去った過去が二度と戻らないものであり、これからくる未来というものが予測不可能なものだからこそ、人は悲しみ、喜び、不安に怯えるのだ。
 情報統合思念体にとって時間というものは過去未来現在全て同時に訪れるものなのだ。長門だって異時間同位体と常に同期していた時は、まさにそうだったのだろう。
つまり、長門は。宇宙開闢から宇宙の終わりまで、もっと言えば長嶋監督の国民栄誉賞の受賞や、誰も予想すらしなかったニューヨークメッツの優勝や、人類の滅亡や、俺と図書館に行ったことや、ドラクエⅢの発売日の大行列や、国鉄民営化と郵政民営化を同時に経験している訳である。3歳児なのに。

 人間、つまり時間的存在にとって、観測も行動も、全ては時間と共に存在するものである。つまり、死とは、人間が時間的存在という制約から解放されて、その人の生きた期間、という時間にとどまることなのではないだろうか。
だとすれば、死とは、人間を時間という枷から解き放つための唯一の道なのではあるまいか。
 死、その時から、観測者にとって時間の概念は消失する。古代エジプトの神官は、これを肉体と霊魂の分離と考えたが、それがそもそも間違いなのではあるまいか。
霊魂が戻って来るために肉体を保存する、という行為そのものが、時間という概念に縛られる愚かしい行為だ。

死とは、救いであり、救済なのだ。

 なぜ、俺は死というものを恐れていたんだろう、今、考えてみれば、死とは時間という人間を縛る檻から解放する唯一の手段なのだ。
死こそが、俺たちが目指すべき、神へと至る道なのだ。

「憂鬱な遺伝子を長門有希につけて」完


2017年12月2日土曜日

二十世紀の長門有希

涼宮ハルヒはこの世界に存在していない。
俺はなんだか気を使われているような、ギクシャクした会話を谷口や国木田としながら、自分の後ろの席の机に置かれた花瓶に刺された花が窓から吹き込む風に揺れるのをいやでも意識せざるを得なかった。

という訳で、ハルヒは先日不意のトラック事故で異世界に転生してしまい、この世界にはいないのであるが、俺たちにとっては今日も今日とていつも通りの日常が過ぎていくというのは、至極当然のことであった。

古泉は盤面が真っ白に染まったオセロを前に長考の姿勢であるが、もはや俺の勝ちは確定したようなものである。朝比奈さんは2036年から第三次世界大戦を阻止するために現代にやってきたのであるが、ハルヒの存在が消えたことによってミッションを達成し、未来人としての役割を終え、未来へ帰ってしまった。古泉は機関としての仕事がなくなり、これ迄自身にのしかかっていた超能力者としての重荷をおろして、学生としての生活を謳歌している。後で聞いた話になるのだが、古泉は機関のいざこざで学校に潜入したエージェントであり、実は26歳であるということを聞いて随分と驚いたものである。古泉自身、閉鎖空間での神人への対応でまともな学生生活も送れておらず、遅くもやってきた青春を謳歌しているという訳だ。全く、ハルヒが周りにどれだけ迷惑をかけていたかが如実に現れた話であろう。

情報統合思念体はハルヒの消失によって自立進化の可能性が断たれてしまったとして、ハルヒを観測するために派遣されていた長門の立場は大変危ういものになってしまったのであるが、長門自身に生まれた感情というものに新たな可能性を見出し、長門は継続して高校に通うこととなった訳である。

「しかし古泉、俺はてっきり、お前のボードゲームの弱さは一種の演技だと思っていたんだが…」
古泉は白一色に染まったオセロの盤面に目を落として難しそうな顔をしている。
「いえ、どうも、人と競うというのが苦手でして…」
古泉は恐らく、人を蹴落とすというような行為がすべからく苦手なのだろう。人間は一種の苦手意識によって無意識に自分自身の行動に制約をかけてしまったりするものであるが、恐らく古泉のボードゲームの弱さもそれに由来するのだろう。でなければこれだけ頭の良い奴が万年成績中の下の俺よりも弱いはずがないのだ。

長門は隅の椅子で「究極超人あ〜る」を読んでいる。長門の本の趣味は随分と幅広くなってきており、最近は漫画から何から種類を選ばない。しかし、読む本読む本、基本的にアンドロイドものなのはどういうことであろうか。アンドロイドとして暮らしていく処世術のようなものを学ぼうとしているのかもしれない。もしかしたら近いうちに、自分から電源をとって炊飯器でご飯を炊き出すかもしれないな。

ともあれ、ハルヒと朝比奈さんが抜けて若干の寂しさはあるものの、平穏な日々というものは大きな安らぎを俺たちに与えていたのだった。

しかしその平穏も、部室に突っ込んできた一台のデロリアンによって長門に情報連結を解除された朝倉よりも粉々に破壊されることになる。

「キョンくん!今すぐ未来へきてください!」
デロリアンから飛び出してきた朝比奈さんは慌てた様子でそう言った。
「未来のキョンくんたちが大変なんです!」

朝比奈さんに連れられて、古泉、長門、そしてあまり役に立たない俺というメンバーで向かった未来を、俺たちはデロリアンの車窓から眺める未来は、まさしくディストピアと言って然るべき状況であった。

SOS団のマークを腕章につけた軍人の様な出で立ちの集団が街を闊歩し、人々はその姿に怯え、街と呼んでもいいかどうか判断に困る様な荒廃した家の並びにひっそりと息を殺して暮らしている。
「異世界に転生した涼宮さんが願望実現能力で世界を繋ぐ大穴を開けてこの未来では異世界との大戦争が起こったんです」
朝比奈さん曰く、この世界の人口はもはや戦争前の一割にも満たず、そこかしこで大規模な虐殺や異世界から持ち込まれた病原菌による対処不可能な疫病によってその残り少ない人類ですらもはや絶滅の危機に瀕しているという。ハルヒ、いつかやると思ってたが、ここまでとは…

そこからの描写はめんどくさいので色々省くが、長門が宇宙人パワーでハルヒを100グラム127円の合い挽きのひき肉よりも細かいミンチにし、情報改変能力によって全てをなかったことにして、朝比奈さんの能力によってまた俺たちは現代に帰ってきたのだった。

古泉は何の役にも立たなかった。

「二十世紀の長門有希」完


2017年11月30日木曜日

猿たちはすべてが長門有希なんだと思っていた。

 涼宮ハルヒは全ての人間をジャガイモとしてしか認識できないのであるが、よくよく考えたらそれはひどく孤独なことであると思う。いつだかハルヒが親父さんに連れられて野球場に行った話を聞いたが、つまりそこでハルヒは5万個のジャガイモと芋洗い状態だったわけである。それだけの数のジャガイモの皮をピーラーで剥く手間を考えると、なんだかゾッとしてしまう。

 ハルヒは入学早々、「この中に宇宙人、未来人、超能力者がいたら私のところに来なさい、以上」と言っていたが、つまり、ハルヒはジャガイモではない人間を本気で求めていたのだ。というわけでSOS団には今やハルヒ以外に宇宙人、未来人、超能力者が勢揃いし、なぜだか恐らく普通の人間であるがゆえに、ジャガイモとして認識されているであろう俺もまた、その末席に名を連ねている訳である。

 惜しむらくは、揃いも揃った異質な存在であるSOS団団員諸氏が、ハルヒにそれぞれの思惑を悟られないためにジャガイモとして擬態をしている点にある。長門に至ってはもはや完璧にジャガイモである。ひょっとしたら最初の日から、椅子の上に本とジャガイモが置いてあっただけなのかもしれない。

 俺がジャガイモにナイフを突きつけられ、あわや一巻の終わりかと思われた時も、天井からジャガイモが落下して来て事なきを得、一巻はそこで終わらなかった訳である。もっと言えば続刊も出た。

 という訳で俺は今日もジャガイモさんの入れてくれたお茶を飲みながら、ジャガイモとオセロに興じ、休日にはジャガイモと図書館に行ったり、七夕にはジャガイモさんと過去へ行ったり、ジャガイモの家で三年寝太郎になったり、夏休みにはジャガイモ達と終わらない夏休みに興じたり、冬にはジャガイモの存在しない世界で4つのジャガイモを文芸部室に集めてキーボードのエンターキーを押し、その後ジャガイモにナイフで刺されたり、大小二種類のジャガイモさんに心配されたり、久々に会った中学の同級生が3つのジャガイモを引き連れてきたり、といろいろなことがあったのだ。

 ある日、学校に来ると、ハルヒの顔面がジャガイモになっていたのでたいそう驚いてホームルームをボイコットして長門に相談に行った。長門は

「そもそも、狂っていたのはあなた」

と言ったのだった。

そして、そこには一冊の本とジャガイモが転がっているだけであった。

「猿たちはすべてが長門有希なんだと思っていた。」完

ゴジラ・ミニラ・長門有希 オール怪獣大進撃

 文章の文学的な意味、と言うものを考えると、もはや一文字も筆を進めることができない。そもそも文学とは何なのか。文化とは、俺たちが当たり前に持ち合わせていると考えている、知性、と言うものは何なのだろうか。今、ファミレスのドリンクバーから持って来たホットコーヒーを眺めて、カップの取っ手をとり、口に運んだとする。そこに一体どの様に悟性と知性が関わっているのか、ということは、無学な俺には全く縁遠くて、理解不能なことだ。

ということで、俺は急に天井をぶち破るような音[1巻,pp188]と共に現れた長門が
「一つ一つのプログラムが甘い」
と言ったことに関する文学的な意味について考えを巡らせていたのであるが、そもそももはや状況が理解不能である。長門はなぜドラゴンボールのワンシーンよろしく天井をぶち破って現れるのでなく、ぶち破るような音とともに現れたのだろうか。実は一度たりとて、長門が天井をぶち破って現れた、とは描写されていないのである。俺は、つまり天井がぶち破られた様子を認識できていないのではなかろうか。

 なぜ、俺は天井がぶち破られた、と認識しなかったのか、それは恐らく朝倉によって情報改変されたこの空間は、俺の目や脳の認識できるレベルを超えてしまっているからであると推測される。情報の伝達手段として言語を用いない情報統合思念体[1巻,pp122]の情報改竄によって作られたこの空間は、恐らく人間が言語によって世界を認識している以上、視覚的にはなんとなくこの空間の壁が全てコンクリートの壁に置き換わっていた[1巻,pp185]と認識していたが、恐らくそれは言語化できない状況を脳が無理やり辻褄をつけるためにとりあえず用意した近似的に理解できる回答であって、恐らく正解ではないのだろう。

 言うなれば、今長門が槍のようなものに貫かれて鮮血を噴き出しているのも恐らく何かのつじつま合わせによる認識であり、今まさに朝倉が音もなくキラキラした砂になって消えようとしているのも、人間が視覚を言語的トポイに置き換えて認識している以上、この文学的表現は必ずしも正解であるとは言えないのだろう。認識できないものは表現できないのである。朝倉が消える、という結果を伴う事象をどのように表現するかという点でのみ、この表現は意味を持つのである。俺は朝倉が「砂のように崩れて消えていく」という表現の中で、「砂のように」という比喩を使っていることにも注目していただきたい。つまり、朝倉は砂になったのではなく、砂のようになったのである。その砂を構成するものは、恐らく岩石が風化・浸食・運搬される過程で生じた岩片や鉱物片などの砕屑物ではあるまい。タンパク質の結合を分解した細胞の塊とでも言った方が真実に近いのかもしれないが、この表現は、少し、いや、だいぶグロテスクである。

 物事というのはほとんどの場合その観測者の持つ文化的コンテクスト、イデオロギーによって認識に大きな差が出る。情報を情報として認識する情報統合思念体にはそのような齟齬は発生しないのではないか、とも思うが、今まさに主流派と急進派の派閥争いが繰り広げられていたわけで、情報統合思念体も、情報を解釈することによって理解していると捉えても良いのかもしれない。では情報統合思念体は、言語ではなく一体なんによって情報を理解しているのであろうか。

 などどいうことを考えているうちに、朝倉は
「私が消えても第2第3の朝倉涼子があなたたちの前に立ちふさがるでしょう、私は情報統合思念体急進派四天王の中でも最弱…それまで、涼宮さんとお幸せに、じゃあね」
と言って消えてしまったのだった。

「ゴジラ・ミニラ・長門有希 オール怪獣大進撃」完

2017年11月9日木曜日

最後の長門有希の惑星

地球をアイスピックでつついたとしたら、ちょうど良い感じにカチ割れるんじゃないかというくらいに冷え切った朝だった。 ー谷川流「涼宮ハルヒの消失」

先日ハルヒが地球をアイスピックでつついた際に、地球は真っ二つに割れてしまったのであるが、俺たちは今日も変わることなく不思議を探し求める毎日である。

二つに割れた地球がどのようにして宇宙空間に存在しているのか、重力はどうなっているのか、など、目の前に不思議なことはてんこ盛りなように思うのだが、その辺りにハルヒが興味を抱かないのは古泉流にいうならば常識人であるハルヒの自己防衛のためであるとか何とかであるのだが、落ち着いて考えればわかることだと思うが、常識的な人間はアラレちゃんばりに地球を割ったりしないものである。

ここ数日で人類は絶滅の危機に直面していた。核兵器をはるかに超える超磁力兵器によって、世界の半分を一瞬にして消滅させてしまった(つまり割れた地球の半分がなくなった) 。地球は大地殻変動に襲われ、地軸はねじ曲がり、五つの大陸はことごとく引き裂かれ、海に沈んでしまった。

朝比奈さんは「これも規定事項ですから」と平気な顔で言うのでいくばくかの安心が得られたのであるが、朝比奈さんがどのような未来からやって来たのか、何だか他人事ながら非常に心配になってしまった次第である。
朝比奈さんは孤島に行った時に船が浮く原理を知らなかったので、多分このあと海も干上がるのだろう。

ハルヒは熱心に虫眼鏡で不思議を探している。
「キョン!虫眼鏡で太陽光をアリに集中させると燃えるわ!パイロキネシスよ!きっと!」
高校の成績を見るにハルヒは非常に頭がいいはずであるのだが、時折本当に義務教育を受けて来たのか疑問に思えるようなことを言う。
長門は熱心にアリを両手の親指で潰しているし、朝比奈さんはアリを拾っては食べながら、「昆虫って結構栄養あるんですよね」と言っていた。

超能力者のお株を黒い小さな昆虫に奪われた古泉は、頭からガソリンをかぶって火をつけ赤黒く燃え上がりながら「涼宮さん、超能力ですよ」と言うのだった。
数十分で古泉は灰になってしまったのだが、長門のカドルトによってことなきを得たのだった。灰から蘇生する際に失敗した場合、古泉は永久にロストしてしまうので危ないところだったのだが、これも朝比奈さんの言うところの『規定事項』と言うやつなのだろう。

「最後の長門有希の惑星」完




侵略者の平和 第三部 長門有希

読者諸氏にとっても人生において、あの時ああだったら、こうだったら、と逡巡する機会は多いと思われる。
朝比奈さんは未来人であり、未来から来た人であり、PTSD(だったと思う)というタイムマシンのようなものも持っているのだから、例えば何か大きなミスを犯して赤っ恥みたいな状況になってしまった際に、あの人は目の端に涙をためながら過去へランナウェイするのだろう。もっとも、あの人が頻繁に『禁則事項』『禁則事項』と連呼しているところを見るに、その辺りは強く上司から戒められているような気がするのだが、あの人ならうっかりミスで頻繁に「涼宮ハルヒの娯楽天国」が建設されたディストピア未来にたどり着いてしまいそうであるので、ちょいちょいそういうミスの修正をしてるのではなかろうか、とも思う。ハルヒは馬糞の山に突っ込むのがお似合いというところだろう。

その頃朝比奈さんは、何度繰り返してもハルヒが馬糞の山にダイブしてしまう世界線を修正するために、孤軍奮闘していたというのは、後で聞いた話になる。

アイスピックでつついたとしたら、ちょうど良い感じにカチ割れるんじゃないかという地球を、暖かい日差しが優しく溶かしていくような、そんな陽気の昼だった。

2017年11月7日火曜日

宇宙探偵長門有希

われわれの周囲には、社会的栄光からの転落ぶりが驚くほど類似している大量のゲージがいる。その中には脳腫瘍や頭のけがや他の神経系の病のために脳にダメージを受けた者がいる。 ーアントニオ・R・ダマシオ「デカルトの誤り」

ハルヒが「光あれ」と発してから世界には光があり、淡路島が産まれ、そこから次々と国作りが行われたわけであるが、しかし広い宇宙の中にぽつんと淡路島だけが浮いている様子というのは、想像すると非常にシュールである。
未来の朝比奈さんは、「今回はキョン君に人類の誕生を妨害しに行ってもらいます」と言った。
という訳で、朝比奈さんが鼻からコカインを吸引すると同時に、幻覚作用からPTSDを発現し、ロシアとアメリカによって引き起こされた第3次世界大戦のアラスカ戦線の記憶のフラッシュバックによる四肢を引きちぎられたかのような絶叫をBGMに、俺は宇宙開闢以前まで時間平面移動をしたのだった。
宇宙が存在する前の宇宙空間というのは、いや、宇宙が存在しないのであるから、宇宙空間というのは間違いなのだが、つまりいくばくかの後に宇宙が存在したはずの虚無というのものは、何やら寂しい雰囲気に包まれている。しかしこの虚無、つまり何もない空間に『寂しい雰囲気』というものが存在するのは不思議なもので、人間が主観的に観測することによって完璧な無においても何かを見出してしまうものなのであろうか。
朝比奈さんはPTSDを発症してしまっており何の役にも立たないので、ここからは自分自身の力で何とかしなければなるまい。
しかしどうしたものかと途方に暮れていると、何かが無の向こうから平泳ぎでこちら近づいてきた。長門である。情報統合思念体は情報の誕生とともに生まれたはずであるので、全てが無であるこの空間に存在するのはおかしいような気がするが、ここが無である、という情報は確かに存在している訳であるので、ここに長門がいることもそんなにおかしいことでは無いのだろう。
しかし何もない空間というのは不思議なもので、端的に言ってしまえば上下という概念もないものだから、無の中で膝を抱えながらゲロを撒き散らす朝比奈さんも、無を縦横無尽にかき分けて平泳ぎをする長門も、俺から見ると上下左右がしっちゃかめっちゃかに見えるのだ。まるで無重力と言いたいところであるが、言うなれば無重力という概念は重力が存在するという前提のもとに存在するものであって、そこには有よりは相対的に無いという状態が存在するという方が正しいだろう。何も無い空間を俺が認識できるのも、強いていうならば、ゲロを撒き散らしながら無を漂う朝比奈さんという存在と、それ以外、という相対的認識によって無というものを認識している訳であって、無そのものを認識できている訳では無い。しかし、無はその相対的な認識によって認識されてしまう。故に、完全な無の中にも『寂しい雰囲気』が存在してしまう訳である。そして、『寂しい雰囲気』が存在する以上、それは完璧な無ではなくなってしまうのである。もっと言えば、『寂しい雰囲気』はその無によって、大気圏の酸素のある空間の中に、存在するよりだいぶその存在感を強めていると言えるだろう。無の中において『寂しい雰囲気』というのは有の中にあるよりも相対的に存在しているのである。

この後、無に光をもたらそうとしたハルヒをグーで殴り、宇宙の誕生を阻止した俺たちは無事人類の誕生を妨害できた訳であるが、当然の帰結として人類である俺はこの世界から消滅してしまい、世界は無で閉ざされてしまった。無論、ここには俺がいた、という情報が、無によって相対的に強調される訳であるのだが、無となってしまった俺にとって、それは何の意味もなさないのであった。

「宇宙探偵長門有希」完





2017年10月26日木曜日

長門有希たちの星

朝起きたら無人島にいた。
これだけ聞くと読者諸氏には誤解を与えかねないのでもう少し詳しく説明しよう。
俺が今、体育座りで座り込んでいるのは紛うことなく無人島である。
なぜ無人島だということがわかったのかというと、それはこの島が畳一枚にも足らないほどのサイズだからである。
島はサイズ的には小さいのだが、隆起した岩、というよりは、ミニサイズの島といったほうがよい。わずかに海面から顔を出した部分には土があり、ちょっとした草も生えている。どうやら当面は草を食って生きるしかないようだ。
周囲を見回すと、爽やかな潮風が頬を撫でる。水平線を見渡す限り、他の島などは見えない。
ぼんやりと海を眺めていると、向こうから平泳ぎで泳いでくる人影が見えた。
長門である。
思い出したくもないあの冬の騒動にしても、朝倉に殺されそうになった時も、いつだって俺を助けてくれるのは長門なのだ。きっとドラえもんばりに何か秘密道具を取り出して俺を助けてくれるに違いない。
ビショビショの長門が何を口にするのか、と期待の眼差しで待っていると
「退屈すると困るからUNOを持ってきた」
と言ったのだった。
かくしてひとりぼっちの孤島症候群から、人数は二人に増えたものの、俺たちはなすすべもなく、狭っ苦しい孤島でUNOに興じている訳である。
長門のあがり札以外全てスキップかリバースという怒涛の連鎖によって完膚なきまでに打ちのめされてしまう展開が延々に続いている中で、俺たちを見つけて救助のために近づいてきた船は多数あったのだが、それらの船は全て沈んでしまっていた。
何故ならばここはバミューダトライアングル。この海域を通る船が不思議な力で沈んでしまう魔の海域だからだ。
そして俺は目線を落とし、長門のドロ4を返す刀で打ち取ることのできるドロ2が手札にあることを確かめると、手にじっとりと汗をかきながらも逆転のチャンスを虎視眈々と狙うのだった。

「長門有希たちの星」完





2017年10月20日金曜日

ディスプレイと情報 人間の知覚範囲とフレームの大きさについて

 「スケッチブックは大きい方がいい」、と美術予備校時代に講師に言われたことがある。
何かを行うときに、フレームの大きさは人工知能にとっては致命的な足かせとなるが[1]、人間にとってはフレームの小ささこそが、その可能性を可能な限り広げるための足かせとなりうる。例えば、A4のコピー用紙に一辺30cmの正方形は書くことができない。ということは、必然的に、人間の持つ想像力でもって、例えば一辺20cmの正方形を30cmの正方形として認識する他はない。それは人間の能力の汎用性を讃えるべき一事例であるかのようにも感じられるが、ある側面で見れば、非常に無駄の多い方法であるとみなすこともできるだろう。
 iPhoneで本を読むより、Kindleで本を読む方がいいし、Kindleで本を読むよりはiPadで読む方がいい。前者はフレームの大きさの問題で、後者はインターフェイスの透明化[2]の問題であるが、なんにしても、フレームは大きい方がいいし、解像度は高い方がいい。
最も注目すべき観点は、現在昔ほど大きなディスプレイが高価ではなくなったにせよ、ディスプレイというものは大きくなればなるほど高価になる、という問題だ。そして、鮮明になればなるほど、高価になる。
 アラン・ケイの時代の人々が構想したGUIという考え方から、ウィンドウズがその象徴的な名前で登場してきて、モニターは情報という資産にアクセスするための窓となった。
何でもかんでもガメるには小さい窓では時間がかかる。それはウィンドウの小ささが情報という資産を運搬する上でのボトルネックとなるからだ。
iPhone3Gの3.5インチディスプレイとiPhoneXの5.8インチディスプレイではその面積比もさることながら、表示ピクセル数には天と地の差がある。前者が「320×480ピクセル」であったのに対して、後者は「2,436 x 1,125ピクセル」である。
かくて人類は、より多くの情報を、ディスプレイという窓から運搬できるようになった。
ここでも我々を縛るものは、y×x pixelであり、ディスプレイというフレームのインチ幅である。
 テレビは大きい方がいいに決まっているし、入ってくる情報も多い方がいい。インターネットに接続されたメディアから搬出される情報の増加は、おそらく人間の情報受容の時間感覚を大幅に高速化したはずで、番組の間挿入されるコマーシャルが異様に退屈に思えるのも、結局のところシングルタスクで処理するに値しないほどに、コマーシャルにおける情報量が少ない、というところに起因するのかもしれない。テレビを見ながらyoutubeを見たり、コマーシャルをカットした録画放送を後で見る、といった考え方も、言うなれば、コンピュータ黎明期のパンチカードの時代に、メインフレームと呼ばれる大型コンピュータが処理を行わずに遊んでいる時間を減らすために用いられた「タイム・シェアリング」[3]を行なっているようなものなのかもしれない。人間の脳というメインフレームをいかにしてロスが少ない形で運用するか、というのは今後の情報へのアクセスにおいて、重要な課題になっていくのではなかろうか。

 ディスプレイサイズと情報の取得という問題に関しては、人間の視覚の範囲との相対的な関係性でもって、VRという技術が登場してきたのも興味深い。ヘッドマウントディスプレイによって、ディスプレイの体感的な大きさは、ついに人間の視覚全てを覆うことになったのである。この考え方の根底には、映画やテレビの発達史から見るよりも、キネトスコープやゾートロープのような覗き見る映像の歴史から紐解いた方が理解しやすいように思う。覗き見る映像において、映像を誰が所有しているのか、それはたった一人の鑑賞者に他ならない。映画は光を投影する、という方法でもって、相対的にフレームのサイズを大きくすることを可能にし、映像をより多くに人たちに共有した。やがて映像は個人、あるいは家族単位に所有されるために、テレビという形でフレームの大きさを損なった。テレビが現在映画以上に人間をその前に引き止めている理由は、視聴の容易さという問題もあるが、最初に述べた人間の想像力によって、絵の大きさが人間の知覚に大きな影響を及ぼさない、というところも大きいだろう。
ともあれ、VRの登場によって、映像はまた、個人の所有物となって帰ってきた。ジャイロセンサーによって、自らの目の向く全ての方向が情報に満たされることになった。
そして、そこに映し出される情報を五感で持って運び出すことが可能になった。
それは、かつて球状の全天スクリーンに投影されたプラネタリウムの星々を盗み出すよりも、幾分か容易に行われることだろう。

[2]ジェイ・デイヴィッド・ボルター,ダイアン・グロマラ,田畑暁生訳「メディアは透明になるべきか」,NTT出版,2007

2017年9月24日日曜日

ウは長門有希のウ

飛行機に乗る前に長門が「こんな鉄の塊が空を飛ぶはずはない、私は降りる」と言って暴れ出し古泉のあばら骨が8本ほど折れたというのも、普段のハルヒの行いに比べれば随分可愛げのあるものであったが、というわけで俺たちはハルヒの、カンガルーの脚力によって第2宇宙速度を超え、地球の周回軌道に乗ることは可能か、という疑問を検証しにオーストラリアまでやってきた訳である。
「コアラはきっと毒の爪を持っているはずよ!だって毒性のあるユーカリを素手で毎日ちぎってるんだもの」
と、意気揚々とオーストラリアに降り立ったハルヒは言ったのだった。
結果は散々なもので、古泉はカンガルーのキックにより12本の肋骨を折り、タスマニアデビルの大群に踏み潰されてさらに5本の肋骨を折った、ハルヒはコアラの毒爪によって苦しみながら死んだ。
人間の肋骨は12対24本であるので、古泉の折れた25本目の肋骨がどこからきたのか、俺たちは首をかしげたのだった。

「ウは長門有希のウ」完

2017年6月11日日曜日

今更シュタインズゲートの良さについて話す

今更ながらこれを見て、俺、33の未来の岡部倫太郎の方が年齢的に近いじゃん、と大変驚いた。
「涼宮ハルヒの憂鬱」を見てた頃は高校生だったわけで、時の流れは残酷であるなぁ、などと思うわけである。
この作品が大変面白いのは、これだけハードSFな雰囲気を出しておきながら、割と本筋はしっかりとギャルゲー、つまり恋愛シミュレーションの王道を外していないことである。ある意味ではその辺の演出はTYPEMOONの作品よりも顕著と言えるだろう。
初見は「魔法少女まどか☆マギカ」よりも後だったのだが、タイムリープものの面白さ、というのは、やはり「時をかける少女」以来変わらないのだなあ、と実感するばかりである。
無論、「魔法少女まどか☆マギカ」の素晴らしいところは、タイムリープ要素を簡潔にまとめたこと、そして何よりも、運命の糸に惑わされ、もがきながらも因果の糸に囚われていく対象を少女という、現代においてはより感情移入しやすい対象に落とし込んだこと。そして何より、あの物語は紆余曲折あれど、最終的には運命などという大きな意志によるものではなく、まどかとほむらという等身大の少女同士のすれ違いと永久に解決しないエゴのぶつかり合いに収束させているところが非常に上手いのであるが。

さておき、シュタインズゲートは、大変よくできたアニメである。
何がすごいって、導入がすごい。ぶっちゃけ全24話中、12話に到るまでが導入なのだ。
実にまどマギの4倍である、ここでじっくりと各々のキャラクターの人間模様を描き、それぞれの思いや葛藤、そして岡部らの発明した過去にメールを送ることができる装置によって過去改変を行い、そうであって欲しかった『現在』を実現させていくことになる。やがてその行為によって生み出された歪みが臨界点を超え、12話でまゆりの死という結末が訪れることによって、それを回避するために岡部倫太郎が『現在』を本来の形まで戻していく。これが大変よくできた構成になっている。12話時点で設定された目標は、これまでの12話をなかったことにする、というゼロサムゲームなのだ。かといって、荒木飛呂彦がいうような、主役は常に勝ち続けなければいけない、という少年漫画における法則を無視しているわけではなく、回を重ねるごとに、ラボメン同士の繋がりは断ち切られていくが、それは岡部倫太郎という主人公の記憶によって紡がれ続けているのである。この辺りで着目すべきは、ここに本来存在するはずであろう喪失感を、恋愛シミュレーションにおけるお約束によってうまく緩和している、という点だ。
ハードなSFの世界観で24話アニメーションを続ける、というのは結構至難の技である。
小説と違って、アニメでは1話ごとに見せ場を用意し、常に観客をつなぎとめておく必要がある。シュタインズゲートが大変よくできている、と思う点は、まさにここである。物語が展開するごとに、様々なキャラクターたちの内面や、主人公に対する好意、あるいはそのキャラクターに隠された秘密が開示されていくことになる。これが主人公が確実に目標に向かって前進している、という実感を与え、視聴者にプラスの気持ちを与えているのである。毎回まゆり死んでるのに。
「涼宮ハルヒの憂鬱」でも同様の問題が起きるのであるが、災禍の中心にいる人物は、物語的にはハブられがちになる。「涼宮ハルヒの憂鬱」でハルヒが全然出てこないのと同じく、まゆりというキャラクターが何を考えているのか、という点は実はアニメ本編であんまり描写されていない。これはまどかマギカでも同じで、まどかが何を考え、どのように行動するのか、という点は、実はあんまりちゃんと描写されていない。
シュタインズゲートにおいては、まゆりは毎回死ぬからあんまりちゃんと内面描写しちゃうとキツいというのもある。
例えばまどマギにおいては最終的に物語は暁美ほむらという非常に視野が狭い主人公の視点で描かれている。それが故に『最高の友達』でありながらも、究極的に言ってしまえば『他人』という存在であるまどかの内面描写が避けられているのではないか、と考えられる。というか多分まどマギでほむらの次に内面描写が多いのはさやかだし。その描写不足が故に、他人のためなら死すら厭わない自爆テロリスト気質を持った女の子みたいになってしまってるのは大変遺憾なところであるが、ぶっちゃけてしまえば、そっちはそっちで一本別のアニメが作れるだろう、という感じはする。
まどかマギカという物語は、ほむらが理解できない相手を『愛』してしまったこと、そしてそのお互いの一方通行の愛は、お互いのエゴによって、どちらかがどちらかを隷属させない限り永久に解決しないという人間関係の物語、正しい回答、シュタインズゲートの存在しない世界を描き切ったところにある。
一転シュタインズゲートは、まゆりが死ぬか紅莉栖が死ぬか、という二択の選択は迫られるものの、まどマギと違って、みんなが望む未来はシュタインズゲートに収束されている。という点で大きく異なる。更に言えば、リーディングシュタイナーという時間軸の変化を認識する能力が、極限的に言えば主人公にしか備わっていないため、何度まゆりが死のうが最終的にハッピーエンドの時間軸に行ければよし、という構成になっている。そういう意味では、綺麗に終わる。まどかマギカでは、まどかという舞台装置によって全ての時間軸が認知されてしまったが故に、ほむらの行動はいっぺんもなかったことにできず、その認知を踏まえての“許し”によってほむらは救済されるわけであるが、その救済が不完全であったが故に、劇場版叛逆の物語へと物語が続いていくのである。
アニメ版シュタインズゲートの良さは、結局のところ、岡部一人の選択によって全てを解決できた、というところに尽きる。アニメ版の暁美ほむらは、舞台装置によってオートマチックに救済されてしまったのだから。




2017年5月29日月曜日

量子長門有希

たぬきは人を化かすという。しかし、落ち着いて考えてみれば長門も人を化かすのである。
あれは寛永6年のことであったが、たぬきときつねの化かし合戦に長門が参加し、長門はイガグリから毘沙門天、果ては宇宙そのものにまで化けて見せ、もののけたちを大いに震え上がらせたものである。
宇宙そのものになった長門は、片手で天を、片手で地を指し「天上天下唯我独尊」と唱えたのだった。

明治150年に長門は棘の長いハリセンボンであった。そのトゲトゲはチクチクと痛いので、俺は随分難儀していた。しかし、腕のないハリセンボンでは本は読みにくいので、長門は困ってハリネズミに変化した。ハリネズミになった長門はよちよちと短い腕で本をめくって文字に向かって鼻をヒクヒク動かすのだった。
ハルヒは七変化を見せる長門を見ても、
「今日は暑いから、有希もハリセンボンやハリネズミにもなるわよね」
といつも通り不思議なことを認めない姿勢であった。

朝比奈さんは今日も美味しいお茶を淹れている。今日はカニの甲羅の粉末とアスパラガスの乾燥粉末を煮出し、湯飲みにチョコモナカジャンボを突き刺してそこに煮出した汁を注ぎ込むのだった。

「みなさん、お茶が入りましたよ」
朝比奈さんがチョコモナカジャンボの突き刺さった湯飲みを俺たちに順に配っていき、最後にハルヒの頭の上に湯飲みを載せるのだった。


古泉は俺とオセロに興じている。今日は珍しく古泉優勢で、古泉はすでにオセロの駒を34枚完食している。オセロの駒をバリバリ食べながら、俺はオレオを二つに分け、クリーム側を下にして盤面に叩きつけた。
「4、7歩ですか…」
と古泉が言った。それは将棋だろ。

「こんなに暇なのに、何もしないなんてのはSOS団の沽券にかかわるわ! 何かするわよ!」
とハルヒは熱湯に浸ったチョコモナカジャンボから垂れてきたバニラアイスで顔をべちゃべちゃにしながら叫び、立ち上がった勢いで頭の上の湯飲みが倒れ、カニとアスパラの出汁を顔面に被り「うあっちぃ!!!」っと叫ぶのだった。
その出汁のあまりの熱さに、ハルヒは頭からどろどろと溶けていき、紫色のスライム状生物になってしまった。
「参ったわね…」
とハルヒは言ったのだった。

「量子長門有希」完

2017年5月28日日曜日

ここが長門有希なら、きみは長門有希

俺は目がさめるとパリの凱旋門の前にいた。
状況が把握できないので、どういうことかわからなかったのだが、とりあえずハルヒのせいということにした。この世に起こる全ての厄災は、全てハルヒが望んだから起きるのであって、誰かに非があるわけではないのだ。先日、地球の8割が熱帯になって南極の氷が全て溶けて地上の4割が海に沈んだのも、ハルヒが冬の寒さに怒りを爆発させたからであるので、この仮説はかなりの信憑性が持てるように思える。

長門の宇宙人パワーで日本に帰ってくると、先日の南極融解によって、俺たちの住んでいる地域は全て海に沈んでしまっていたので、仕方なく俺は長門家に居候することにした。朝比奈さんと古泉も長門の家に居候する形になっている。機関では今回の南極融解事件を、未来人、超能力者陣営を抱え込むためにハルヒの力に見せかけた情報統合思念体の策略である、とする見方が大勢を占めているようであるが、それはいささかハルヒを贔屓した見方のように思う。今までだって「もっと近くで星が見てみたい」と言って隕石を呼び寄せてアメリカを消滅させたり、他にも「深海の世界って神秘的で素敵よね」と言った翌日にアフリカ大陸が全て地盤沈下を起こして深海に沈んだりしているので、それはいささか考えすぎというものだろう。
ハルヒは人間の命は尊重するかもしれないが、それは直接的に他人の死を願ったりしない、というだけで、副次的には人がたくさん死んでいるのだ。5億キロメートルの巨人が存在したとしたら、ちょっと疲れたから座ろうかな、と思って座った尻の下で、何千万人もの人間を押しつぶして殺してしまうということもあるだろう。ハルヒによる被害は、つまるところそういうものなのだ。
その間にも、ハルヒの願望によって蚊が絶滅させられ、生態系がめちゃくちゃになって鳥が死滅したり、とっとこハム太郎をみてハムスターにハマったハルヒが街をハムスターで溢れさせ、伝染病の媒介者となったハムスターによって日本の人口が1割まで減ったり、KGBから状況を知ったソ連がハルヒの家に向かって7万発の核ミサイルを打ち込んだり、カニの禁漁期間がなくなったり、ウニが三倍トゲトゲになったりしたのだった。
しかし朝比奈さんが
「いえ、これも規定事項ですから、そんなに心配することないですよ」
と言ったので、俺たちは安堵のため息を漏らすのだった。

「ここが長門有希なら、きみは長門有希」完

稲妻よ、聖なる長門有希をめざせ!

長門は意外とたくさん食べる。お忘れかもしれないから、再確認の意味でもう一度言っておくが、長門は意外とたくさん食べるのである。
先日ラーメン二郎にSOS団のみんなで行ったのだが、その時の長門食べっぷりは、それはもうすごいものだった。映像でお伝えできないのが残念でならない。
ハルヒは大盛りを完食したものの自分の口から立ち上る強烈なニンニクの臭いによって死んでしまい。古泉は失神。朝比奈さんは小ラーメン半分を食べて、帰り際に路地裏で大量のゲロを吐いていた。電車でも吐いていたし、なんなら帰り際にさようなら、と手を振りながら吐いていた。谷口は「仰天動地だ…」と言っていた。

家で三点倒立をしながら天才バカボンを読んでいると、未来の朝比奈さんがやってきて「キョンくんに未来に行ってもらいます」と言ったので、ああ、俺は未来に行くのだな 、と思ったのだった。
朝比奈さんはおなじみのPTSDを使い、第三次非核戦争で多くの捕虜を尋問し銃剣で突き刺して殺した記憶のフラッシュバックに襲われ、俺の部屋の隅でカブトムシの幼虫のように丸まってゲロを吐きながらむせび泣いている。俺が三点倒立しながらどうしたものだろうと思案に暮れていると「情報の、えーと、なんかが、その、ポカリスエットは甘い。だから私の侵入を許す」と言って長門が窓から入ってきた。俺のプライバシーは一体どこに行ってしまったんだ。
「ポカリスエットを所望する」
と長門が言ったので、俺は仕方なく、一階の台所の冷蔵庫からポカリを出してきて、長門に与えたのだった。自分のゲロの上を散々苦悶の表情でのたうち回った朝比奈さん(大)は、今や息も絶え絶えになって、顔面に脂汗を浮かべながら全身の穴という穴から体液を垂れ流していたので、脱脂綿に含ませたポカリスエットを飲ませることにした。ちうちうと脱脂綿からポカリを吸う姿はちょっとした大きなカブトムシかカナブンといった感じであった。
長門はポカリを1.5リットル一気しながら、なにやら呪文のような言葉をつぶやくと、朝比奈さんは金色の光の粒子になって消えてしまった。
どうしてそんなことをしたんだ、と長門に問うと
「汚かったから…」
と答えた。確かにそうだが、女の子がそんなことを口に出していうべきではないぞ、長門よ。

俺たちはやることがないので、ハルヒの家に行った。ハルヒの家はお葬式の最中だったので、俺たちは特に何かするということもなく、お焼香をあげて帰ってきた。長門はずっとポカリを飲んでいた。

「稲妻よ、聖なる長門有希をめざせ!」完


2017年5月23日火曜日

長門有希の消失

 事実は小説より寄なりというが、小説より寄にあふれた出来事があるならばどうか私の目の前に持って来てほしい。平々凡々とした生活を送り、小規模ながらも波瀾万丈に生きて来た俺は、やがて、涼宮ハルヒに出会った。
 涼宮ハルヒは、宇宙人、未来人、異世界人、超能力者がいたら私の所に来なさい、と言った。

 宇宙人といえば、地球外生命体と早合点する、偏った頭の持ち主もいるであろうが、この宇宙に存在する人間、と考えれば、人間も宇宙人であるから、俺は涼宮に「あんた宇宙人?」と聞かれたときに、「そうだ」と答えた。

 宇宙人といえば、地球人も含む宇宙全体に存在する人間のことを指すと考える、偏った頭の持ち主もいるであろうから説明しておくが、宇宙人というのはつまり、地球外生命体のことである。先日出会った長門有希という少女は、どうもその宇宙人に該当するものであったらしく、同じ宇宙人として親近感を感じたのか、やたらと俺に宇宙の秘密を教えてくれるのには、なんだか申し訳ない気分になってしまった。曰く「この地球の言語表記方式には、表記内に時間概念が存在せず、無駄が多い」「宇宙には未来完了形というものが存在しない、そんなものは存在しないから」「この地球には私たちのように多くの宇宙人が、自身の身分を隠して居住している。あなたはどこの惑星の出身?」など、俺にはチンプンカンプンだったが、なんだか申し訳ない気持ちになってしまった。

 ところで、未来人といえば、未来からやって来たタイムトラベラーなどを安直に想像するテレビや映画を見すぎた夢見がちな輩もいるだろうが、時間というものが線形にベクトル的な方向性を持って進行している以上、今このとき、から数秒先の時間の自分は未来人であると言え、俺は「あんた未来人?」という涼宮の質問にも、「そうだ」と答えた。

 ややあって知ることになるが、未来人といえば、現在の時間軸上に存在する自分から観測される未来の自分と考える、論理的に誤った思考をする者もいるだろうから説明しておくが、やはり未来人というのは未来からタイムマシンでやって来たタイムトラベラーを指すのである。朝比奈みくるという天使と形容しても天罰は当たらぬであろう美しい先輩は、先日来タイムマシンでこの時間に遡行して来た未来人であるらしく、この時代に一人ぼっちという境遇も手伝ってか、俺に様々な未来のことを話してしまったのも申し訳なかった。曰く「2045年問題の時は、大変でしたよね」「世界終末戦争で地上が全て焼け野原になって、雑草一本すら生存を許されない世界になった時、キョン君はどうしてましたか?大変でしたよね、あれ」「実は私、体の7割は生体機械で、ほとんどアンドロイドなんですよ、外見もアンチエイジングで処理してて、実は78歳なんです」などと様々な未来の知識を手に入れてしまった。最後の情報は、知らないでおきたかった、と思った。

 超能力者というと、テレパシーであるとか、サイコキネシスであるとか、クレヤボヤンスのような分かりやすい超能力を想像する方も多いだろうからことわっておく必要があるだろうが、ミスターマリックが披露するマジックを超能力と呼称するのだから、やはり一種のタネのある手品を行う人を超能力者と呼称すべきであろう。故に、俺はハルヒに「あんた、超能力者?」と聞かれた時に、手から親指を取り外しながら「そうだ」と答え、ハルヒはたいそう驚いた様子だった。

 超能力者というと、ミスターマリックのような手品師を想像する方もいるであろうから訂正しておくが、超能力者というのはつまり超常の力を用いる人のことである。小泉一樹という超能力者は、スプーンを曲げながら神人の居場所をクレヤボヤンスで透視し、空中浮遊を行いながら、人体発火現象を起こして真っ赤に光り、テレパシーで、(僕の名前は古泉で、小泉ではありません…)と訂正するのだった。もはや超能力のバーゲンセールだ。古泉は同じ超能力者として俺に親近感を覚え、異様に近い距離感で、超能力の秘密を洗いざらい説明してくれたのだった。どうやら、ハルヒに願われたから、小泉に超能力が備わっているらしい。(古泉です…)とまたもテレパシーで訂正を入れて来たので、俺は申し訳ない気持ちになってしまった。

 ところで、神というと、キリスト教的な唯一神、インテリジェントデザイン説に存在する知性などの万能の存在を想像するような安直な思考の持ち主もいるだろうから、説明しておくが、人間の知覚範囲において、神とはつまり、自身のインナースペース、内面を統制する自身の意思に他ならない。つまり、小規模に、自分自身の内面のみを見るのであれば、この世の中に存在するすべての知性ある生き物は神である、と言っても過言でないのだ。俺はハルヒの「あんた、神?」という質問にも、肯定の意思を示した。

 神というと、小規模な内面世界での随意存在である人間の精神的側面を指すような、視野狭窄に陥った者もいるであろうから改めて説明するが、神というのはつまり、全知全能かつ、強大な力を持ち、天罰も自由自在、なんなら、願えば生命ですらその手のひらの中に生み出せ、岩から生まれたサルなど、その手のひらのうちで弄び、指先を世界の果てと勘違いさせ、「斉天大聖」の直筆サインをいただくなど、操作もない存在のことを指すのである。というわけで、同じ神として、その身の上の苦労話を愚痴のように延々とハルヒは語るのであった。曰く、「キリストが処刑された時は、もう人間に慈悲を与えてもダメかと思ったが、なんとか自制した」「ノアが箱舟を作った時に、恐竜を載せなかったから恐竜が滅んでしまった」「ティラノサウルスとか超かっこいいじゃない」「宇宙開闢の際に宇宙と一緒に情報統合思念体も作った」「世界を四日で作っとけば金曜日も休みだった、失敗した」「体から毎日70リットルのワインと各種よりどりみどりのパンがあふれ出まくって、家がもうワインびたしの食パンだらけで困ってる」とか。

 というわけで、自称宇宙人で未来人で超能力者で神な俺と、どう見ても宇宙人製アンドロイド、未来からやって来たご老人、超能力のバーゲンセール、そして神、とんでもないメンツの勢ぞろいしたSOS団は、すべての属性をお併せ持つと勘違いされた俺を中心に、今日も今日とて異世界人を探して街を徘徊するのであった。
 これまでのこともあってか、さすがにハルヒに「あんた異世界人?」と聞かれた際には「いや、違うぞ」と答えた俺のささやかなる健闘を讃えてほしい。何事も、見つからない不思議というものは、一つぐらいあった方がいいのだ。

「長門有希の消失」完

2017年5月12日金曜日

あなたの長門有希の物語 上

これがたったひとつの冴えたやりかた。 -ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア「たったひとつの冴えたやりかた」

サンタクロースをいつまで信じていたか、と言われると、どーでもいいことなので具体的には覚えていない。しかし、俺は心の底から、宇宙人や未来人や幽霊や妖怪や超能力や悪の組織が、ふらりと出てきてくれることを望んでいたのだ。しかし現実ってのは意外と厳しい。未来人も、幽霊も妖怪も超能力も悪の組織も存在しない。しかし、宇宙人はいる。俺は実際15年ほど人生を生きてきているわけであるが、いつだったかおばさんにつけられたキョンというあだ名以外、自分の名前を一切知覚することができないのだ。これは多分、宇宙人によるアブダクションで脳に植え付けられた金属チップが影響しているに違いない。
そんなことを頭の片隅で脳に刺激を与え続けるチップの傍らでぼんやりと考えながら、俺はたいした感慨もなく高校生になり––、
涼宮ハルヒと出会った。

記述がめんどくさいので脳に植え付けられたチップで俺の記憶が不安定になっている、ということにして、話は教室で担任の岡部が、みんなに自己紹介をしてもらおうと言ったところまで飛ぶ。俺は無難に自己紹介を済ませ、席に着いたのだった。
「東中学出身、涼宮ハルヒ」
お、俺の後ろの席の奴が“す”ずみや、という名前で、俺より前に中学の同級生だった国木田が自己紹介している、ということは、俺の名字はく〜すの間になる、ということだな。ということは、佐藤か鈴木の可能性が高いな。うん、俺の名字は佐藤か鈴木なのかもしれない。などということを考えていると、後ろの席の涼宮はとんでもないことをのたまったのだった。
「ただの人間には興味ありません。この中に、宇宙人、未来人、超能力者がいたら、私のところに来なさい。以上」
えらい美人がそこにいて、「ここ、笑うとこ?」と思った。
結論から言うと、それはギャグでも笑いどころでもなかった。
宇宙人以外はいない。俺は、そう思った。

そして話はゴールデンウィークまで飛ぶ。俺は小学の妹を連れて、田舎のバーさんちに行っていた。ゴールデンウィークに従兄弟連中で集まるのが家の年中行事なのだ。
そうして谷口のゴールデンウィーク明けの気力も萎えるようなやりとりをあしらいながら、高校へ続く地獄の坂道を登って行ったのだった。

「毎日髪型を変えるのは宇宙人対策か何かなのか?」
俺はなんの気の迷いか、ハルヒに話しかけてしまった。
「あんた、宇宙人?」
いや、違うが。
「じゃあ話しかけないで、時間の無駄だから」
と言ってそっぽを向いてしまった。
「私、曜日によって感じるイメージって、違うと思うのよね」
今度は急に話し出した。

「私、部活作るわ」
とハルヒが急に俺に言った、前後の記憶が曖昧なので、経緯はよくわからないが、確かにそう言った。多分言ったはずだ。「拙者、部活を作るでヤンス」だったかもしれないが、確かにそういう意味合いに取れることを言った。たぶん、そう言ったのだ。

というわけで、部活ができた。

部室には長門有希と言う文芸部に所属する女子生徒がいた。
彼女は「いい」と言った。実際のところ、彼女はよく「いい」と言う。あまり「わるい」とは言わないし「どちらとも言えないがややある」と言ったのは聞いたこともない。

なんか色々あって、本当に色々あったのだが、朝比奈みくる、という先輩が部員になった。そして、長門が本を貸してくれた。「夜は短し歩けよ乙女」と言う本だったのだが、巻末に住所が書いてあり、意を決した俺はその住所の宛先、朝倉涼子と文通を始めたのだった。後々これは長門が俺をおちょくるために、朝倉涼子の名前を騙って行った犯行であったと判明するのだが、それがわかるのは随分先の話になる。

長門からFAXで公園で待ってる的なことを送られたので、俺は素直に公園に向かうことにした。やや小走りだった。書くのを忘れていたが、先週とか先々週とかは、ハルヒがバニーガール姿で客引きをして補導されたり、野球大会をやったり、閉鎖空間に閉じ込められてハルヒとキスをしたり、色々あった。いや、野球大会はもうちょっと先の話だったかもしれない、まあ、とにかく色々あったのだ。

公園で待っていた長門に声をかけると、長門は家に来て欲しいと言った。どう考えても公園のワンクッションが無駄だ、と思ったが、言わなかった。あと、なんかの宗教とか、マルチまがい商法の勧誘っぽいな、とも思ったけど、それも言わなかった。

長門の家は、なんだかピカピカしていて、今まで見たこともないような金属でできており、アダムスキー型をした、円盤みたいな変な家だった。長門がインターホンを操作して指紋認証をし、瞳孔のチェックを終えると、ドアが開いた。なんか地面に対して、ぐわってせり出して開いて、宇宙人が降りてくるみたいなタイプのドアだな。
長門の案内で、俺は居間のこたつ机に座った。おそらく案内されたのだから居間か、客間だろう、と思ったのだが、横の手術台のような机の上には内臓を抜き取られた牛が転がっているし、背の高いグレイ型宇宙人が理解できない言語で牛の大腸を引っ張りながら議論をしているところを見ると、ひょっとするとここは居間ではないのかもしれない。
俺はいつの間にか、手術台のような物の上に固定されていた。
「説明が面倒だから、あなたの脳にチップを埋め込んで理解してもらう…」
人形のような顔で、注射のようなものを構える長門はそう言ったのだった。
「やれやれ、またか」
俺はアメリカ人みたいな仕草で少し肩をすくめる。腕に少しだけ痛みが走り、俺は意識を手放したのだった。

 目を醒ますと、なんだか当社比で5倍くらい頭が良くなったような気がした。試しに2桁の暗算ができるかどうか試して見たが、22×42が一向に解ける気配がないので、どうやら頭が良くなったというのは錯覚らしい、ということがわかる程度には頭が良くなっていたことがわかった。

「情報統合思念体によって作られた対有機生命体コンタクト用ヒューマノイドインターフェースか」
俺は理解した内容を長門に伝える意味で、口に出して見た。
「それが長くてめんどくさかったから、アブダクションで伝えた」
と長門が言った。
「面倒くさいから今後それに対しては、アレと呼ぶことにする」
長門は随分と面倒くさがりのようだった。
「アレによって作られた対あれコンタクト用あれインターフェース、それが私」
随分略したな。
「あれ、ってのはどれのことだ?」
そう聞くと長門は俺を指差して
「それ」
と言うのだった。

「あの、あれが、あれで、その…あの…」
長門はなんだかボソボソと話したが、先ほど脳に埋め込まれたチップによって、長門言わんとしていることが次々と頭の中に浮かんてくる。なんと涼宮にそんな能力が。俺は大変驚いた。宇宙人なんてのは、ありふれた存在で、言ってしまえば宇宙に住んでいる以上、地球人だって宇宙人なのだ。と言うわけで、俺はそんなに驚かなかった。タオルさえ持っていれば、宇宙では何も困ることはないのだ。

その日は、長門の淹れてくれたなんとも形容しがたい液体を飲んで(ライチとプリンとサバの味噌煮をミキサーで混ぜたような味だった)帰った。

そんなわけで、翌日も長々と続く地獄のような坂道を登って学校へ向かった。神道的な観念で考えれば、登っていけば天国、降っていけば地獄へと行く構造になっているはずだが、登っているのに地獄とは、これいかに。谷口は失敗したナンパの話を陽気に国木田と俺に披露している。そういえばこいつは、初対面から異様に馴れ馴れしい奴だったが、よくよく考えるとひょうきんで気配りのできるいい奴なのかもしれないな。学年の女子全員をランク付けしてノートにまとめて名前を覚える、と言う変態行為を大っぴらにしてさえなければ、それなりにモテるのではなかろうか。などと、益もないことを考えながら、俺は無心で坂道を登った。

何事もなく授業が終わり、部室で朝比奈さんとオセロに興じていると、涼宮が転校生がやってきて不思議だ、などと言い出し、部室から飛び出して行ってしまった。
長門がオセロをやりたそうにこちらを見ているので、長門と交代することにした。
「ルールはわかるか?」
否定。
朝比奈さんと協力して長門にオセロのルールを説明していると、涼宮が転校生を連れてきた。
「即戦力の転校生!」
「古泉一樹です。」
そのイケメンは古泉一樹と名乗った。口頭なので古泉なのか小泉なのかイマイチ分からなかったが、確か、古泉だったと思う。
そうして、涼宮は、週末は不思議を探しに行く、と言った。多分、言ったはずだ。カナダにメープルシロップを採りに行く、とは言わなかったはずだ。カナダに行った記憶はない。あと遅刻したら死刑と言われた。

週末になると、俺たちは駅前に集まった。俺は遅刻の濡れ衣を着せられ、死刑に処せられた。グッバイハルヒ、フォーエバー。
ハルヒはくじ引きで班分けをする、と言った。ババ抜きかチキンレースか、血抜き麻雀だったかもしれないが、確かくじ引きだったと思う。俺はティッシュ箱に入れたくじに折り目をつけることで、涼宮とのチームを避け、なんと朝比奈さんと一緒になった。

「マジデートじゃないのよ!遊んでたら殺すからね!」
と涼宮に言われた。
朝比奈さんとの甘酸っぱい柑橘系の匂いのするような散歩の後、俺たちはベンチに座って、将来の夢について話した。朝比奈さんは自分のことを未来人だ、と言ったが、未来人などいる訳がないので信じなかった。頑なに信じなかったら、朝比奈さんは未来人であることを証明する、と言って道端に停めてあったデロリアンに乗り込もうとしたが、それは窃盗罪にあたるので、無理やり止めた。
「あれは私の車で、タイムマシンなんですよ」
と必死に訴えるのだが、朝比奈さんの年齢で免許を持っているはずもない。
朝比奈さん、歳いくつ?と聞いたら
「禁則事項です」
と答えた。
午後も班分けが行われ、俺は長門と一緒になった。
確かこの時の班分けは血抜き麻雀で決めて、半荘六回戦の闘牌で19年もの年月がかかったような気がするのだが、ひょっとすると俺の覚え違いであったかもしれない。

長門と一緒にどこかに行く、となったら、どこに行くべきであろうか。
そういえば言っていなかったが、長門はどうやら本を読むのが好きなようなので、一緒に図書館に行くことにした。
長門は
「いい」
と言った。その時は肯定の意味ととったのだが、ひょっとすると、あの「いい」は「行かなくていい」という否定の意味合いであったのかもしれない。

長門は図書館に着くと、延々と電話帳を読んでいた。
俺は長門の横で、大量に並ぶ名前と電話番号を眺めていたのだが、気がついたら眠ってしまっていたようだった。ハルヒからの電話で目が覚めた。
大変おかんむりのようだったので俺と長門は急いで図書館を出ることにした、しかし長門は電話帳を離すことをしなかったので、仕方なく俺は長門の図書カードを作ってやり、こと無きを得ることになった。長門が住所を金星のもので書いたので、えらい時間を食ったのだが、まあなんとかなった。図書館の司書さんは、長門が延滞をした時に取り立てるために、今後頑張って金星へのアクセス手段を確保しなければならない訳で、なんだか申し訳なくなってしまった。

結局また駅前に集まって、怒髪天を突くがごとく怒り狂ったハルヒに遊んでいたと判定されてしまったため俺は殺されてしまい、ここからは俺は幽霊として話が進んで行く訳だ。冒頭に否定した話だが、幽霊もいるじゃん、と思った。いや、これは嘘だ。


「あなたの長門有希の物語 上」完

2017年5月11日木曜日

いさましい長門有希のトースター火星に行く

「ちょっ!いた!痛い!やめて有希!!」
なぜハルヒが珍しくそんな声を上げているかというと、長門がウニでハルヒを殴っているからだ。
「長門、いくらハルヒに「いさましいちびのトースター火星に行く」はSFというより児童文学、と言われたからってウニで殴ることはないだろ」
長門は無表情のまま、ウニをハルヒに叩きつけている、
「いさましいちびのトースターは純粋なSF、訂正してほしい」
ウニのトゲがハルヒの頰に突き刺さり鮮血が飛び散っている。
朝比奈さんは困ったように右往左往し、古泉は「おやおや、困ったものです」などとおきまりのセリフを吐いて、傍観に回っている。
「わかっ…いたっ!わかったから有希、あやま痛い痛い!!謝るから!!」
こんなに狼狽したハルヒを見るのも珍しい。
「謝るのではない、しっかりと読んで、訂正してほしい」
長門はウニで殴るのをやめない。
「いたっ!ちょっ!やめ!ヤメロー!!!」

そんな、うららかな春の、青春の1ページであったとさ。

「いさましい長門有希のトースター火星に行く」完

2017年5月10日水曜日

グッドナイト・スイート長門有希

「私はここにいる」とハルヒが学校の校庭にメッセージを発して、何事もなく三年が過ぎ、奴は何も変わることもなく高校に入学したかのように思われるかもしれないが、少なくとも、機関、未来人、情報統合思念体はその存在に気づいたわけである。無論、他の存在が寄ってきていたとしてもおかしくない、むしろ大量の超能力者、未来人、宇宙人のトーナメント式のデスマッチの末に厳選されたのがあの三勢力と考えた方が、幾分も自然だ。異世界人なんかは、ひょっとしたらそのトーナメント中に不慮の事故で全滅してしまったのかもしれない。未だに異世界人が出てきていないのにも納得のものがある。ドラえもんやマーティーとしのぎを削る朝比奈さんや、エイリアンやプレデターと格闘する長門、肉の塊と化した鉄雄やギガロマニアックスをかいくぐり、超電磁砲をバットで打ち返すなどの八面六臂の大活躍をする古泉など、実際見てみたいものである。と言うよりも、俺やハルヒが気づいてないだけで、裏では有象無象の宇宙人や未来人や超能力者が、長門たちによってバッタバッタとなぎ倒されているのかもしれない。実際佐々木を取り巻く奴らはそう言う性質の奴らだったし、そう言う奴らが俺の知らないところにいるとしても、何ら不思議はないわけだ。
 そんなことを考えてながら、一人部室でぼんやりしていると、赤紫色の液体にまみれた長門が部室にやってきた。どうしたんだ、長門。
「蒲田で巨大恐竜と格闘してきた」
そうか、タオル、確か朝比奈さんのロッカーにあったから、これ使って拭いておけよ。
「恩にきる」
長門が恩にきるとは、やはり長門も人間的な感情を手に入れてきた、と言うことなのだろうか。長門の髪の毛をワシャワシャと拭いてやっていると、窓ガラスを突き破ってボロボロの古泉が部室に飛び込んできた。
「いやぁすいません、まさか10倍界王拳まで使えたとは、予想外でした。もう一度行ってきます。」
そう言うと古泉は俺の返事も待たず、窓から飛び出して行ってしまった。せめて窓ガラスを片付けてから行け!
まったく、とブツブツ言いながら、ほうきを取り出して飛び散ったガラスをまとめていると、今度は複数の朝比奈さんがぞろぞろと部室にやってきた。
「実は明日の宿題が終わりそうにないので、数時間おきの未来の私に協力してもらうんです」
と言っていたが、よく考えたら明日の朝比奈さんを連れて来れば問題の答えはわかるのではなかろうか、と言う話は野暮なので言わなかった。そもそもこんな行動に出ている時点で、明日宿題が終わっていると言う保証はない訳だしな。
「あーあ、つまんない、どこかに不思議が落っこちてないかしら」
珍しくハルヒが普通にドアを開けてやってきた。ハルヒが部室に登場するたびにタックルで粉砕するドアの修理費を真面目に計算した結果、ハルヒが一切ドアを粉砕していなければサターンロケットの開発費を賄えたという長門が出した試算を見て、少しは反省したようである。
「ねえキョン、どっかに不思議、落ちてないかしら」
そんなことを言われても、長門が未確認生命体の返り血を浴びて部室にやってくることもしょっちゅうだし、古泉がサイヤ人と格闘しているなんてのも、ありふれた当たり前の風景であるし、朝比奈さんが軽率に異時間同位体を連れてきて増えるのも、ハルヒには朝比奈さんは実は42つ子の大家族である、と言う説明でごまかしてしまったので、不思議でもなんでもない。
俺は困ったように長門を見ると、長門は長門で現在エイリアンとの取っ組み合いの大激闘を繰り広げているので、助けを求めようもない。長門、エイリアンの腕を引きちぎるのは外でやりなさい、返り血がこっちにも飛んでくるから。
「はー、結局、世の中には不思議なんてものは一個もないのよね、もうSOS団やめちゃおっかな…」
ハルヒがそう言うと、団員3名が異様な焦りを見せ、長門は即座にエイリアンをかけらも残らないほどズタズタに引き裂いて始末し、窓際の椅子に座ってゲームボーイを始めた。
「あ!有希がゲームボーイしてる!不思議だわ!」
古泉は5億倍界王拳からのデコピンでサイヤ人を弾き飛ばし、部室に戻るとオセロの盤をひたいに乗せながら、逆立ちをしてスクワットを始めた。
「え?古泉くん!?それ物理的にどうなってるの!?不思議だわ!!!!」
朝比奈さんは異時間同位体を全員未来に帰すと、ガチャピンの着ぐるみを着てスキーを始めた。
「え!?ガチャピン!?キョン!ガチャピンがいるわ!!!!!!不思議!!!!!!」
そんなハルヒを見て、俺はつくづく思った。
「ハルヒ、俺はやっぱり、SOS団をやっててよかったと思うよ。もう、SOS団を辞めるなんて言わないでくれよ、お前あってのSOS団なんだからな」
よし、かっこよく決まったじゃないか、このかっこよさにはハルヒも、朝比奈さんも一発でノックアウトされるに違いない。
「え?キョンが変なこと言ってる!!!不思議だわ!!!!」

やれやれだ。

「グッドナイト・スイート長門有希」完

2017年5月9日火曜日

わが赴くは長門有希の群

 ある朝、グレゴール・ザムザがなにか胸騒ぎのする夢からさめると、ベットのなかの自分が一匹のばかでかい毒虫に変わってしまっているのに気がついた、というのは有名な小説の冒頭であるが、俺は、なにやら胸騒ぎのする夢から覚めると、なにやら体に違和感を覚え、洗面所へ行って鏡の前で自分の顔をペタペタと触ってみるが、これはどうも、いや、どうみても、凡庸な俺の顔とは似ても似つかない整ったものであったので、これはどういうことだろうとまじまじと見てみると俺はどうやら長門有希に変わってしまっていることに気づいた。今日は珍しく妹が起こしに来なかったので難を逃れたが、もしこれが家族にバレたら愛しい息子が女になってしまったということで、後生大事に箱入り娘として育てられてしまうことは容易に想像できたので、俺は親や妹が起き出さないうちにこっそりと家を出て、長門のマンションへ向かった。

 「入って」と言う長門の無機質な声は随分と俺に安堵感を与えた。どうやら俺が長門に変わってしまっても、長門は依然長門のままであった。これで俺の顔をした長門が、こんな高級マンションで一人暮らしをしていたとなったら、随分長門の境遇がいたたまれない。いや、谷口になるよりは幾分かマシだろうが、それにしたって、俺が部室の片隅で黙々と小説を読んでいる姿というのは想像できない。
いつぞやの時のように、長門はお茶を入れて対面に座った。
「長門、どういうことだか、お前は知っているか?」
と俺が問うと、長門は
「知らない」
と答えた。
そうか、知らないのか。早速暗礁に乗り上げたな。
「ただ…原因があるとすれば…」
「ハルヒか…」
しかし、一体なんだって、ハルヒは俺が長門になることを望んだんだ。しかも二人長門がいたとして、何になるというのだ。もし長門が二人いたとしたら、俺としてはそれはそれは頼もしいものがあるだろうが、何しろ片方の中身は俺なのだ、こちらに関しては、頼りにならないことは折り紙つきだ。
「危機が迫るとしたら、まず、あなた」
そうだったのか。
「とりあえず、どうすれば元に戻れるんだ」
長門は困ったような顔をして
「わからない」
と答えた。俺もわからない。

そしてわからないままに俺は、長門有希として学校に登校することになった。
長門が言うには、俺の姿はハルヒのトンデモ能力によって改変されているため、長門の情報改変能力では干渉ができない、とのことであったので、長門が俺の姿になって、言うなれば入れ替わって生活することになったのだ。
そんなこんなで、600年ほどの年月が流れただろうか。
長門有希になった俺は歳をとることもなく、その間にハルヒが死んだり、時間平面移動をしていない朝比奈さんの誕生に立ち会ったり、古泉が閉鎖空間で「ふんもっふ」と言ったり、色々あった。俺と長門は相変わらず高校へ登校し、代わり映えのない高校生活を過ごしている。俺は長門有希として過ごしているので、「そう」と「いい」と「待つがよい」と言う長門おきまりのセリフも随分板についてきた頃だ。
朝比奈さんの時代の未来人の過ちのせいで、地表の8割は焼け野原になり、人類はそのほとんどが死に絶えてしまった。
結局俺が長門になってしまった原因はわからないまま、ただ時間だけが過ぎて行った。
そうして55億年の年月が流れた。赤く、大きく燃える太陽が、まるで目と鼻の先にあるように感じる。俺は、長門と一緒に、地球の終焉を見守った。
随分前に人類も、そして地球上の生物全てが死滅してしまったのだが、こうして太陽系の歴史は誰にも見守られなかった、と言うことはなく、俺たち二人に見守られて、ゆっくりとその生を終えたのだった。

「わが赴くは長門有希の群」完



2017年5月6日土曜日

オールユーニードイズ長門有希

 朝比奈さんたち未来人の目的は、なんだったであろうか。長門達は自立進化の可能性、古泉達は世界の平穏と、崩壊の危機の回避という目的があったはずだ。確か未来人陣営は時空震動の原因がハルヒで、それを調査に来たんだったか?いや、待てよ、そう考えると少しおかしいな、整理してみよう。
あの時の朝比奈さんのセリフはこうだ。『三年前。大きな時間振動が検出されたの。ああうん、今の時間から数えて三年前ね。キョン君や涼宮さんが中学生になった頃の時代。調査するために過去に飛んだ我々は驚いた。どうやってもそれ以上の過去に遡ることができなかったから』ということは、原因の調査は朝比奈さん達の目的ではなさそうだ。その後、時間の歪みの中心にハルヒがいた、と言っていることからも、朝比奈さん達は時空振動の原因をハルヒと断定して行動しているわけだ。
思い出した、朝比奈さんの目的を長門に説明してもらったことがある。確か『未来の固定のためには新しい数値を入力する必要がある。朝比奈みくるの役割はその数値の調整』だかなんだったか。つまり朝比奈さんは、ある意味では自分の都合のいいように過去を改変しにやって来ているわけである。無論それはつまり、自分自身が、言うなれば自分の存在する未来が存在するように、という、半ば自衛的で、半ば必然的な行動であるのかもしれないが。しかし、落ち着いて考えてみてほしい。あの冬の大立ち回り、つまり長門のエラーが爆発したあの事件を、ドラえもんのび太の大魔境よろしく未来から解決しに行った時のことを思い出してほしい。古泉の説明であるので、あまり確証のもてる話ではないが、時間は一部の例外を認めるにせよ、基本的には一つの世界線のみを基準に進んでいると考えて良いだろう。なぜなら、時間が一つでないのなら、朝比奈さん達未来人が、わざわざ過去に来て、しかも他の未来人勢力と対立して過去を改変する必要がないのだ。パラレルワールドが存在するならば、何も躍起になって過去を改変する必要はない。無数の分岐の中の一つが朝比奈さん達の暮らす未来になるであろうことは、想像に難くないからだ。ではなぜ、朝比奈さんは過去を改変しなければならないのか。人間のその時その時の選択が、偶然であったにせよ、世界線が一つであるならば、未来から過去へ世界線を俯瞰して眺めた時に、すべての偶然は必然となるだろう。未来にとって世界はその選択しか許容しなかったのだ。では、その必然が揺らぐ時、それはなんであろうか。そう、TPDD、つまりタイムマシンの存在だ。彼らが時間に干渉できるようになって初めて、時間は不可侵で選択を認めない、偶然のような必然で構成されるものから、変質したのだ。時間に干渉できるようになって初めて、朝比奈さん達は時間を制御しなければならなくなったのではないか。まるで核分裂を発見した人類の歴史と同じではないか。そもそも、それが発見されなければ、そんな問題は起こらなかったはずなのだ。しかし、いずれ誰かが発見した時に、悪用されないためにも時間は良識ある人間が制御しなければならない、という発想は必然的に出てくるだろう。冷戦以降の核不拡散条約がいい例だ。しかしそう考えた時に、朝比奈さんと藤原違いは何か、と考えると、それは信ずる正義がいずれの側に属するか、という問題に他ならない。つまり、未来人達が行なっているのは、時間という人間が取り扱うには途方も無い概念を、どちらが主導権を持って管理していくか、という政治的パワーゲームに他ならない。
 そして、落ち着いて考えると、さらに一点不可解なことが気にかかる。
最初の問題に立ち返るが、ハルヒによる時間断層の問題だ。つまり未来人は、俺たちが中学生だったあの頃より過去に、一度も行ったことがないはずなのだ。時間というものを、古い時間の概念超えて観測できるようになった時に、この問題はどうしても避けて通れないものになるだろう。何故ならば、化石のような状況証拠から推察される古生代、人間の発生、宇宙の誕生、そして記録として残る江戸時代や、アメリカ独立戦争、果ては、先ほど話題に出した冷戦ですら、未来人は直接観測できていない、ということになる。というか、過去という概念の、ある地点より前が、一切証明不可能なのだ。時空振動、という概念を考えるに、朝比奈さん達の未来では、時間を一種の振動、つまり波として捉えるのであろう。それはつまり、電磁波で距離を測定するソナーとかと、比較的近いのではなかろうか。観察者効果を考えるに、朝比奈さん達は、未来から何かしらの、粒子のようなものを過去に向けて投射し、その反響を観測しているのではないかと考えられるが、それがある場所を境に、一切存在していない、という状況になるわけだ。少なくとも、データの上ではそうなっているはずだ。それは、断層なんて甘っちょろいものではない、消失、あるいは欠落、と言ってもいいだろう。ある地点より過去は、観測できない以上存在しないのだ。 端的に言ってしまえば、朝比奈さん達未来人の常識において、人類の前史というものは、参照不可能なのだ。無論、化石や、これまでの記録としては残っている、しかし、時間平面理論という、より進んだ、新しい考え方では時間断層以前の歴史は観測不可能なものになっているのだ。
 これは恐らく、古泉達以上に世界五分前仮説を信ずる動機になるだろう。本来なら、超能力者達ではなく、朝比奈さん達未来人がハルヒを神と崇めるべきなんじゃないのか?世界が観測可能になったその時に、ハルヒがその中心にいたのだ。それはつまり、現在俺たちが信じている宇宙理論においてビックバンの中心に知的生命体がいた、というのと感覚的にはほとんど同じだろう。それを神と信じることに、何の躊躇があろうか。
 違う観点から考えてみよう。ハルヒは観測されたからこそ生まれた、と仮定してみる。つまりハルヒの能力は未来人による時間干渉の歪みを補正するために生まれた。という考え方だ。多分に人間原理寄りな考え方だが、従来あったはずの歴史を朝比奈さん達未来人が時間平面理論によって観測可能になったことに、全ての原因を求める考え方だ。俺がかつて信じていたように、サンタクロースも、未来人も、宇宙人も、超能力者もいない歴史が、これまでにあって、朝比奈さん達が観測したことによって、その歴史に歪みが生じた、と仮定する。観測という行為は常に観測対象を変化させる。未来人が時間を観測したことによって、ハルヒが生まれ、その歪みを補正するために、情報統合思念体や、超能力者が生まれた、と考えて見てはどうだろうか。
そもそも過去未来の時間を定量的に観測できる存在は、一種の四次元存在とも言える。今まで俺はそういう存在は情報統合思念体と広域帯宇宙存在だけであると考えていたが、時間を知覚し、時間に干渉できる以上、未来人も一種の四次元的存在であると言えるだろう。時間平面理論は、時間平面の名前の通り、未来人は時間を二次元の連続として捉えている訳であるが、これはわかりやすく説明するための方便でしかないように思う。パラパラ漫画の例えで朝比奈さんが説明してくれたことを思い出して欲しい。彼らは、パラパラ漫画に書き込むが如く、3次元のプレーンに干渉することができるのだ。そして、何より、TPDDだ。何の略称か忘れてしまった方のために改めておさらいするが、あれは「Time Plain Destroyed Device」の略称で、直訳するならば「時間平面破壊装置」と呼ぶこともできる。例えば、時間平面を地層のように考えて見て欲しい。20層下に埋まっている恐竜の化石を掘り返すためには、19層分の地層を掘削して取り除かなければならない。無論、上に建物が建っていたならば、その建物も壊さなければならないし、14層にあったほ乳類の祖先の化石を掘り返そうとしても、その層はすでに掘削されて取り除かれてしまっているので、参照不可能である。日めくりカレンダーを裏から破っていく、と考えてもいいかもしれない。朝比奈さんが言っていた重大なセリフを思い出して欲しい『時間は連続してないから、仮にわたしがこの時代で歴史を改変しようとしても、未来にそれは反映されません。この時間平面上のことだけで終わってしまう。』これは後々起こった事を考えてみると其の場凌ぎの嘘だったのではないかと思える節がいくつかある。そもそも過去の改変が未来に影響を及ぼさないなら、朝比奈さんはハルヒのことなど放っておいて、規定事項も処理する必要がないからだ。
この言葉の意味をそのままに受け取った場合の結論は二つだ、
①   朝比奈さんたちが純粋な知的好奇心からハルヒの行動を観察し、いずれ論文にまとめて学会に発表する。
②   朝比奈さんが遡行した時間平面から、俺たちが存在する時間平面の間は、未来人の時間平面破壊装置によって破壊されてしまっているため、変わるべき未来がそもそも存在しない。
①の可能性もあるにはあるが、まあその場合は何の実害もないので置いておくとして、問題は②の場合だ。時間が空白になる可能性に関しては、古泉が、冬のあの事件の時間的推移を俺に説明する際に考察している。七夕の件に関しても、朝比奈さんは現在に戻ることができず、長門の超宇宙パワーの手助けを借りて、実際に三年間の時間経過を待っている。いや、ダメだな、朝比奈みちるの件のことを失念していた、あの時8日後から来た朝比奈さんは確かに、未来へと戻っている。しかし、落ち着いて考えてみよう、仮に、破壊された時間平面はあったとしよう、しかし、その穴は、過去の朝比奈さんと、俺たちによってしっかり穴埋めされたわけだ。推測でしかないが、時間平面を時間移動することによって破壊している、という可能性はこれによって否定されるわけでもない。移動していない、一定時間から未来は、当たり前に存在していると考えてみれば、これはつまり、漫画単行本の特定のページの間を裁断して引き抜いたような形になる。朝比奈さんが、時間の分岐点の話をしている以上、時間は平面でありながらも、一種のベクトルを持って、未来へと進行している、と捉えることは可能だろう。時間平面理論というのは、時間を時間遡行のために観測するための限定的な、実用重視の考え方であって、本来的な時間は、一般相対性理論における時間概念を依然とっているのかもしれない。とすれば②の状況を仮定した場合、朝比奈さんたちの活動は、最初の時間平面移動によって破壊されてしまった歯抜けになった漫画のページに描き込まれる新しいストーリーを、朝比奈さんたちの暮らす未来に綺麗につながるように修正していると考えることができる。時間平面が積み重ねられていった結果、破壊されていない時間平面との接続における齟齬を最小限に抑えることが、朝比奈さんたちの仕事なのではないだろうか。
 そう言えば、長門たちは時間連続体という言葉を使っている。時間平面という言葉も使ってはいるが、長門たちはどうも俺たちが理解できる言葉を選んで使っている節があるので、時間平面は朝比奈さんから情報共有されている俺たちが理解できる形の用語をあえて使っているという可能性は否定できない。時間平面理論は、時間が平面の連続、つまり、朝比奈さん的に雨ならば、パラパラ漫画のようなものである、という定義である。しかし、長門が行なった、三年間の時間停止に関して言えば、それは大きく矛盾していることがわかる。三年間、時間が止まっていたはずならば、その時間はそこで静止し、その先の未来は存在しないことになる。三年前に時間を止められた俺が、三年後の長門の部屋に出てくることは不可能なのだ。なぜならば、俺と朝比奈さんは、まごうことなく三年前の七夕という時間平面で、時間停止によって未来方向にパラパラ漫画を積み重ねていく工程を停止されていたのだから、俺と朝比奈さんはパラパラ漫画に開いた虚無の穴の底にたゆたっているはずだ。三年後に長門が寝室の襖を開けたとしても、そこには虚無が広がっているだけのはずなのだ。なぜならば、そこに時間平面は存在していないのだから。長門は、TPDDを、原始的な時間移動手段であるということを語っていたが、時間が情報として理論、体系化可能であるのであるから、情報統合思念体も、やはり当たり前に、時間を移動するすべを知っているということになる。何よりも、情報統合思念体は、どちらかというと時間を超越した高次元存在のように、俺は考えている。三年前の長門が、三年後の長門に同期を求めたことをお忘れではないだろう。つまり情報統合思念体にとって、時間というものは操作することのできる情報の一つに過ぎず、人間のように、時間という平面の連続を、未来方向に光速で移動する必要がないのだ。
色々と考えてみたが結局のところ、三次元存在である俺にとって、時間というものを理解することはおそらく無理なのだろう、と思う。それは俺より幾分か頭がいいが、超能力者でありながらも、同じく三次元存在である古泉にだって多分不可能だ。
ともあれ、朝比奈さんは、船の浮く原理が社会常識から削除され、ケプラーの天体望遠鏡は一般教養として普遍化した世界からやってきているのだ。そして、俺たちが知るべきでない未来は『禁則事項』によって覆い隠してくれている。
俺にできることは、せいぜい未来を楽しみにして、今日という時間平面を生きることだけなのだろうな。

「オールユーニードイズ長門有希」完
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